『35歳の哲学者、遺伝性がんを生きる それでも子どもを望むということ』(飯塚理恵 著)幻冬舎

 出生前検査の誤診を取材したとき、「命を選ぶとは何か」「遺伝子による差別とは何か」といった問いに直面し、迷子になったような感覚を抱いた。確かな足場が欲しくて大学院に進んだが、そこで知ったのは「正解はない」という事実であった。答えの出ない問いに向き合い続けることこそが、知性であり、学問なのだと気づかされた。

 本書は、遺伝性乳がんに罹患した哲学者による、個人的でありながら社会的な書である。著者は32歳でがんと向き合い、遺伝子検査、手術、治療を受ける。経験は克明に描かれるが、この本がいわゆる闘病記にとどまらないのは、そこに通底する深い思索の過程が丁寧に誠実に綴られているからだ。直面する違和感や制度を「仕方ない」で済ませず、知の蓄積と学問的訓練を背景にしながら、問いを抱きしめるように考え抜くその姿勢に、読む者の思考も深まっていく。

「わたしの体のことは、わたしが決めなくてはならない」。命に関わる決定を矢継ぎ早に迫られる現代医療のなかで、患者は選択と責任を背負っていく。しかし、実際には患者にとって必要な情報が十分に提供されていない現実も浮かび上がる。

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 特に心を揺さぶられたのは、「何かを選択することによって誰かが傷つく」ことへの葛藤だ。著者は、自分が父から引き継いだ遺伝性がんを、これから生まれてくる子には伝えたくないという思いから着床前診断を選ぶ。症状が性差によって異なるがんのため、受精卵の性別も知りたいと願うが、日本では倫理審査が壁となり、海外での検査を決断する。自己決定をしろと言われつつ、決定できない領域があることへの苦悩が溢れる。

 だがその個人的な選択や考えは、ある人にとっては「マイクロアグレッション」(意図はないが差別的な態度を示す微妙な言動)として受け止められてしまう懸念もある。あるいは、相手を傷つける意図も差別的態度もないのに、相手が傷つけられたと感じる種類のものだろうか。著者は、個人が選択した着床前診断は後者だという考えを述べる。たとえば、結婚できない人に結婚式の招待状を送ることや、不妊治療中の人に子どもの写真を見せる行為とはどう違うのか。こうした問いの数々は、差別と自由、選択と責任の境界を私たちに考えさせる。

 答えは一つではないし、一つではないからこそ安心できる。本書に反論がある人もいるだろうし、共感する人もいるだろう。さまざまな感情の嵐の中で、私の心にいつまでも残ったのは、がんになりやすい遺伝子変異を持っているのは自分の特性の一つだが、たくさんある特徴のうちの一つに過ぎないという著者の整理の仕方だ。倫理的な議論を、「難しい問題だ」で終わらせず、それぞれが自分の答えを考え続けるための補助線を与えてくれる一冊である。

いいづかりえ/1989年北海道生まれ。哲学者。広島大学共創科学基盤センター特任助教。専門は、分析哲学、認識論、倫理学、フェミニスト哲学。2012年お茶の水女子大学文教育学部卒業、14年東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了、20年エジンバラ大学にて博士号を取得。
 

かわいかおり/1974年生まれ。ノンフィクション作家。2019年『選べなかった命』で大宅賞と新潮ドキュメント賞をW受賞。