――結婚も恋愛も、全部映画の中で経験されたと語っておられます。

戸田 本当にそう。過去から未来、天国から地獄まで、あらゆる人の人生を映画の中で全部経験しています。すごい代理人生(笑)。

日本語ほど新陳代謝が激しい言語はない

――これまで1500本以上の映画の字幕翻訳を手がけてきた中で、どのような気づきがありましたか?

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戸田 50年間毎日言葉をいじってきた中で、日本語ほど新陳代謝が激しい言語はないと、しみじみ感じています。毎年「新語・流行語大賞」などで盛り上がっていますが、あんなことができるのは日本語だけです。

 すごいのは、去年の新語も流行語も、誰も覚えていないということ。それほど激しく言葉が動く国は、ほかにないと私は思います。

 言葉は生き物ですから英語も変わります。でも日本語はすぐ“死んで”いくので、仮に流行語を字幕で使うと、3年後には意味が通じなくなっている怖れがあります。字幕は10年ぐらい生き残るものなので、定着した日本語を使わないといけないと思っています。

 また、映画館には高齢の方も観に来ます。同じお金を払っているのに、若者だけにへつらった字幕を作るのは失礼ですよね。新聞やテレビのニュース番組でも、偏った言葉ではなく全員にわかる標準語が使われていますが、映画でも「みんなにわかる言葉」というのは大事にしています。

「机でキーボードを叩いているけれど、頭の中は全く違う」人生

――いろんなところに気配り目配りをされて、アンテナを張っておられるのがお元気でいらっしゃる秘訣なのでしょうか。

戸田 そんなことはないと思います(笑)。もちろんアンテナは張っています。そして知らない言葉はスマホにメモしています。使うかどうかは別問題ですが、自分の知識としてキャッチはしているつもりです。

 私が理想とするのは、映画を観た後に、字を読んだことを意識させないぐらい自然に入ってくる字幕。これが一番いいと私は思います。観た後にあたかもトム・クルーズが自分の知っている言葉を喋っていたように錯覚させる。字幕を読んだという感覚が残るのは、意識させている時点で私の中では「下手な字幕」です。

――映画とともに生きてこられて、人の何倍も何十倍もの人生を疑似体験されてきたと思います。あらためて字幕翻訳の魅力について教えてください。

戸田 最近私は『メガロポリス』のニューローマの世界で、非常に難しいローマの帝国と現代の狭間に生きていました。でもその翌週は、トムと一緒に飛行機に乗って、空中にぶら下がっている(笑)。そんなことが毎週ある人生は、楽しいと思いませんか? 現実でやっていることは机でキーボードを叩いているだけですが、頭の中は全く違う。それが楽しいです、この仕事は。

撮影 石川啓次/文藝春秋

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