ソロデビューシングルが当時の女性歌手オリコン1位最年少記録を更新するなど群を抜く人気を誇りながら、いわゆる「アイドルっぽくない」楽曲や衣装、コンセプトで自己表現を続けていた渡辺満里奈。バラエティ番組では数多くの大御所司会者と共演し、その堂々たる仕切りで「猛獣使い」とも呼ばれた彼女が密かに悩み、苦しんでいたこと。
「何者かにならねば」時代に伝えたい、魑魅魍魎渦巻く芸能界で渡辺満里奈がたどり着いた「無理しない」という生き方。(全3回の3回目/はじめから読む)
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社会現象になったおニャン子クラブ時代
――本当に社会現象でしたよね、当時のおニャン子クラブ人気は。
渡辺満里奈さん(以下、渡辺) 高校入学とほぼ同時にテレビに出始めたんですけど、体育館で行われた新入生オリエンテーションに人がバァッて見に来ていたのを覚えています。女子校だったんですけど、人がいっぱいで。「あ、テレビ出るってこういう事なのか」と思いましたね。
学校が終わったら電車で河田町のフジテレビに行く生活が始まって、あわただしくしているうちに気づいたらレコードデビューすることに。もともと歌いたい、お芝居がしたいとか、特に何かになりたいとかもなくて。でもやってみたらすごく楽しかったんです。
――ご自身はメンタルが強いタイプだと思いますか?
渡辺 あ、それはそうですね! メンタルが強いというか、鈍感なんだと思います(笑)。鈍感なのと、結構なんでも楽しめるタイプ。
――今は大所帯のアイドルは珍しくありませんが、当時あのシステムは画期的でしたよね。でもメンバーがたくさんいるからこそ、自分の個性が埋もれてしまうのではという心配はなかったですか?
「『ツインテールにヒラヒラ衣装で』と言われたらストレスになったかも(笑)」
渡辺 それも何も考えてなかったです(笑)。ただキャッキャとテレビに出ていたなぁ。
ソロデビューをさせてもらった時に、ちょっと他の子と曲の毛色が違ったんですよ。みんなアイドルっぽい曲を歌う中で、私だけエイトビートのちょっとゆったりした曲で。
レコード会社(EPIC Sony)の狙いとしては、カレッジポップスみたいな、初期の竹内まりやさんのような路線にしたいということでした。私が好きな音楽もそんな感じだったので、自然とそうなったのかなと思いますね。なので、あまり無理することがなかったですね。
もし私が「ツインテールでヒラヒラの衣装を着て歌って!」と言われたら、それはすごくストレスになったかもしれない(笑)。私が好きなものを尊重してもらって、好きなことを形にしてくれたので、よかったなと思っています。