――じゃあ嘘をつかなくても、渡辺さんのままでいられた場所だった。
渡辺 本当にそうでした。グループにいる間は「基本的には学業が優先」と言われていたので、学校にはちゃんと行く。なので、余計にグループにいる間は本当に放課後のクラブ活動みたいな気分でいられたんだと思います。
――当時の芸能界というと、今よりも過酷な企画が多かったんじゃないかという印象もありますが……。
渡辺 本当にこれはラッキーだったなと思うんですけど、嫌なことをやらされたことがないんですよ。本当にそればっかりは。私のちょっと文化部っぽい匂いが事務所とも相性が良かったんだろうなと思います。
司会業を始めて、ついたあだ名は「猛獣使い」
――おニャン子クラブ解散後の道はなにか思い描いていたのですか?
渡辺 いや、それが全然なかったんです。当時のマネージャーが道しるべをしてくれて、それがいわゆるMCとかバラエティの司会とか。
――満里奈さんのウィキペディアに「かつて猛獣使いと呼ばれていた」みたいな記述がありまして。大御所司会者との共演が多いがゆえに。
渡辺 (笑)。多かったですね。たまたまだと思うんですけど、(ビート)たけしさんとかタモリさんとか古舘(伊知郎)さんとか、ご一緒させていただくことが多かったので。テレ東でたけしさんと番組をやっているときに、番組のプロデューサーが「猛獣使い」とおっしゃったんです。
――「猛獣使い」であることに自覚はありましたか?
渡辺 なかったです(笑)。でも、私はそういう役割だと思っていました。猛獣使いとまでは言わないけれども、うまく番組が回るように……。ああいうすごい方たちはトークを回すよりも自由にしていただいて、その中で番組を回すことが私の役割だったので、たまたまそう呼ばれたっていう。
――特に気をつけていたことはありましたか。
渡辺 進行しなきゃいけないから、ついつい次に次にって気持ちが先走っちゃうのをよく注意されていましたね。「もうちょっとたけしさんにしゃべらせてくれる?」とか言われて、「やっちゃった!」「でも進行はどうすれば……」みたいな。手探りでしたね。
自分が楽しむことを心掛けていた
――そういうバラエティの勘はどうやって培ってこられたんでしょうか。
渡辺 どうなんでしょうね。でも基本的には自分自身が楽しむことがすごく大切だなって思っていました。番組のテーマを理解して、自分が楽しむことがすごく大切。だから堅苦しくカチカチと進行するのではなくて、盛り上がりつつ、楽しみつつっていうのを心掛けていました。
――アイドル時代も、エッセイにも綴られていた育児や更年期も、「与えられた環境で楽しむ」と、自分をうまくコントロールされている印象があります。渡辺さんに「こうしたい」という欲ってあるんでしょうか?
渡辺 欲……。そうですね、昔から「こうなりたい」っていうのがあんまりないんですよ。気づいたらここまで来ていた。でも若い頃は「何もないのがいけないんだな」って思っていた時はあります。



