心の悲鳴は走り続けるために無視していた

――続けていく上でモチベーションになっていたのはなんだったのでしょうか。

神野 現場で褒められることが嬉しかったです。求められることがモチベーションだったと思います。

 現場終わりに「あのパフォーマンスがよかったよ」「また次もお願いね」って言われることがとにかく嬉しくて。「まおちゃんがいたら安心だよね」って言われることが誇りでした。そういうところはやっぱり学生時代からあまり変わっていないんですよね。

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――自分のためというよりは他の人のために頑張っていた。

神野 結局人のために頑張っちゃうところとか、気を使って頑張りすぎるところとか、地元にいた時と変わっていなくて。もっと早くから周りに相談したり、甘えたりしていればよかったんですけど、それをせずに最後まで進んでしまったんだと思います。

――当時はどのくらい働いていたのでしょうか。

神野 月に10日は稼働していましたね。撮影が朝から晩までなので短いと8時間、長いと15時間くらい。撮影していない時間もあるんですけど、そういう時はパッケージの写真を撮ったり、特典のサインを書いたり。それプラス大学に通っていたので、かなり忙しかったですね。

 仕事がない日でも「明日午後から現場行ける?」と連絡が来ることも結構あって。断ったら仕事がなくなるかもしれないと思ってたので行ける時は全部行ってました。

 本の中にも書いたんですけど、できることなら全部やりたいと思ってました。どこに金の卵が埋まってるか分からないし、どこで作品が跳ねるか分からない。チャンスを無駄にしたくなかったんです。

――それだけ忙しいとプライベートの時間がなさそうですね。

神野 心のどこかで限界だと思っていたけど、その感情を認めてしまったらもう二度と撮影に行けないんじゃないかという気持ちがあって。矛盾していますが、セクシー女優であることが唯一自分を保つことでもあったんです。だから走り続けるために無視していました。自分の感情とちゃんと向き合ったら生きていけない気がして。

写真= 榎本麻美/文藝春秋

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