中途半端に終わった第四台場は明治以降民間に払い下げられ、緒明菊三郎によって造船所が設けられていたこともある。本格的な埋立がはじまったのは大正時代からで、昭和に入って1939年には埋立が完成して陸続き。

 しばらくは特に活用もされなかったが、戦後の高度経済成長期から本格的に開発が始まった。東側に品川埠頭ができたこともあり、倉庫が建ち並ぶ物流拠点というのが、その頃の天王洲の姿だ。

 

“脱・倉庫街”の源流をたどると…

 それが大きく変わったのは1980年代半ばのことだ。倉庫業の低迷と、バブルの勢いに乗ったウォーターフロントブーム。武骨な町のひとつだった天王洲の再開発がはじまって、1990年代から高層ビルがニョキニョキと生えだした。

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 1992年にはシーフォートスクエアもオープンしている。何でも、第一ホテル東京シーフォートに泊まるのは、バブル時代のステータス。天王洲アイルは、バブルの象徴という側面も持つ再開発エリアなのである。

 こうして急速に発展した天王洲には、鉄道もやってくる。はじめは1992年にモノレールの駅が開業しただけだったが、2001年にりんかい線が開業して天王洲アイルに乗り入れると、交通の利便性向上によって一層の成長。

 

 長らく残っていた倉庫街はアートの拠点に生まれ変わった。倉庫の再利用という点では芝浦などと同じだが、使い道があちらはクラブ、こちらはアート。どちらがどうだというつもりもないですが。

 

 ともあれ、現代の天王洲アイルはこうして形作られた。はじまりは品川沖の浅瀬の呼び名、幕末の砲台から埋立地の倉庫街、そしてバブルの香りがかすかに残る再開発エリア。単なる埋立地の開発とは、いくらか異なる背景を抱えているといっていい。

 

 そして気になる「天王洲アイル」という名前である。天王洲はともかく、「アイル」は英語で島を意味する言葉。だから、品川沖の天王洲にできた島、という、案外スッキリしたネーミングなのだ。

 

 ただ単に天王洲などとするのではなく、小洒落た「アイル」のおかげでバブル期の香りもその名に残す。なかなかよくできた、この町を象徴する名前なのではないかと思う。カタカナの地名・駅名も、悪くないのである。

 

写真=鼠入昌史

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