「私たちは透明な子どもだった」

 咲はオウムにいたことをひた隠しにしてきた。人付き合いを減らし、職場でも表面的な会話しかしない。そうすれば生き抜けると思っていた。しかし、安倍元首相の銃撃事件で山上被告が逮捕され、その背景に教団への恨みがあったことが報じられるようになると、感情にふたができなくなった。「彼は私だったんじゃないか」。SNSに宗教二世としての思いをつづるようになった。

「私たちは透明な子どもだった」と咲は言う。脱会後、大人の元信者に苦しい境遇を訴えても「だから?」と相手にされなかった。自分で信仰を選んだ大人と、判断がつかぬまま教義を植え付けられた子ども。失った時間の重さは同じではない。「助けを求めても、大人は見てくれなかった。生きながらにして透明な存在にされていた」

 かつての咲がそうだったように、今も多くの宗教二世が声を上げられないままだと思う。「亡くなった人、心を病み社会に出られなくなった人、まだ社会を知らない子どもたち。大人が異変に気付き、何度も声をかけてほしい」

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 咲は「話し忘れたことはないかな」と手持ちのメモを確認していた。そして、取材が終わると「あぁ」と大きく息を吐き、「がちがちに固まっています」と自分の手を見つめた。相当緊張していたのだろう。自分では選びようがなかった環境によって、信者だった時も、脱会後も、周囲にSOSを気付いてもらえなかった咲。その声を社会に届けることへの使命感や、親の信仰で苦しむ子どもたちを何とかしたいという気迫が、野口にひしひしと伝わってきた。

 咲はオウムにいた頃の経験が、今でも時折フラッシュバックすることがある。富士山のふもとで修行していたのが年末年始だったため、今でもその時期に夜道を歩くと「帰りたい、帰りたい」という子どもの頃の叫びがよみがえり、涙があふれてくる。そんな時はコンビニエンスストアに駆け込み、飲み物や雑誌を買って心を落ち着けるという。

 咲と別れた後も、野口は「私たちは透明な子どもだった」という言葉が脳裏から離れなかった。それは、子ども自身が声を上げようとしても、周りに透明な膜のようなものがあって誰にも届かない、誰にも気付かれない無力感ではなかっただろうか。そして、それは多くの宗教二世に共通する苦しみではないだろうか。

次の記事に続く 《画像あり》「親の名前や顔を忘れた」「おうむにかいせ」7歳なのに3歳並みの体の子も? 児相が保護したオウム二世信者…元職員が明かす子どもたちの描く“奇妙な絵”