鳴り物入りでリリースされたわりに大手メディアの扱いは小さかったのだが、その理由はいくつか考えられるだろう。まず、政治家や企業、さらには、FBIや国土安全保障省など国民を守る公的機関がソーシャルメディアに目を光らせ、危険なコンテンツが広がりそうだと感じたときにはなにがしかの要請をするなど、どうせそのくらいはしているだろうと国民が思っていた以上の内容がなかったことが挙げられる。ちなみに、外部の要請に必ず従っていたわけではないこと、また、どうモデレーションするのかはヨエルのトラスト&セーフティが慎重に検討して決めていたことも、ツイッターファイルで確認されている。
ツイッターファイルがもっともはっきりと示したのは、ツイッターという広大で複雑なサイトの運営にどれほどの労力が投入されているのか、だろう。まちがいや失敗もあった。
社内外の人が後悔する決断もあった。それを立て直そうとする努力もあった。
同時に、革新寄りのリベラルな方向にモデレーションが向かいがちであったことも浮き彫りになった。これは、右寄りの人にしてみれば、それ見たことかという話だし、極右からすれば、もっとやばいことが行われたはずだ、諜報機関や政治家は、純粋に政治的な目的があって、アカウントの凍結や投稿の押さえ込みをするようツイッターに圧力をかけていたはずだと思ってしまう話である。
マスクもそう考えているらしく、12月10日に、次のように端的なツイートを投稿している。
ツイッターはソーシャルメディア企業であるとともに犯行現場でもある。
トラスト&セーフティのトップであったヨエルの名前は、ツイッターファイルのあちこちに登場している。そして、今回、マスクの助けは期待できない。逆に、マスク自身が最凶なやり方で狩りに来たくらいなのだから。
実は、辞任の直後にヨエルはマスクを擁護している。カーラ・スウィッシャーの取材に「イーロンはですね、ちょっとややこしいことに、みんな、彼を悪役に仕立てたがるんですよ。絶対的な悪ですべてまちがっているし、その言葉はすべて怪しいと。でも……私が知るかぎり、彼はそういう人じゃありません」と語っているのだ。
でも、いま、ヨエルが見ているのは、マスクの異なる一面、これ以上ないほど世の注目を集める形でたたいてくるほうの面だ。
そうしたくなる気持ちもわからないではない。すさまじいプレッシャーがかかっていて、ツイッターに残っている友だちによると、1日1日、どんどんすりきれてぼろぼろになり、気持ちも沈んでいるらしい。一方、ヨエルは、フォロワーのあいだで前からあれこれ言われているなど、いけにえにしやすい存在だったと言えるだろう。それでも、個人攻撃にすぎるとしか思えない。
どこをどう見ても言いがかりだ。それでも、性的に子どもを食い物にしようとしていると犬笛を吹かれたら否定しづらいわけで、ツイッターファイルでヨエルに向かった怒りの声は一瞬で憎しみの奔流に変わり、薄いバリアを突き破って仮想から現実に押し寄せる事態になってしまった。
自分とは関係のない空論であったはずのことが、現実の悪夢となり、エルセリートの自宅に忍び込んできてしまった。
思わず歯を食いしばりながらスーツケースを引いて歩く。自分の前にパートナーがいてくれること、彼も玄関に向かっていることを願いつつ。
匿名ユーザーが、シャドウバンにした連中が、憎しみのしたたる声が、インターネットのそこここにわだかまる闇から染みだし、ヨエルの人生を侵食してくる。まちがいなくそうなっていると思うだけの脅しをヨエルは受けていた。
名前を知られている。
顔を知られている。
家を知られている。
逃げる以外に道はない。
