昭和59年、父親が息子の空手コーチの頭を銃で撃ち抜いた事件。刑期を終えたあとも「また同じことをするだろう」と語った父親は、その後どうなったのか……? 我が子を無惨に殺された親、学生時代ひどいイジメに遭った者などが仕返しを果たした国内外の事件を取り上げた新刊『世界で起きた戦慄の復讐劇35』(鉄人社)から一部抜粋してお届けする。(全3回の3回目/最初から読む)

写真はイメージ ©getty

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空港で発砲→犯人は即死

 3月16日20時。ゲイリーは空港に到着すると、白いキャップとサングラスで顔を覆い、デニムとカウボーイブーツの間に銃を差し込んだ。空港に到着して外に出た者は、金属探知機のゲートの先に12台並ぶ公衆電話の列の前を通過しなければならない。そのことを把握したゲイリーは公衆電話の1台を独占、友人に電話をかけながらそのときを待った。変装した彼に気づく者は誰もいなかった。

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 22時過ぎ、空港フロアに待機していた報道陣たちが動き出し、ストロボが一斉にたかれた。大量のカメラに戸惑いながら、正面を向いて歩を進めるドーセ。やがて、公衆電話近くまで来たとき、ゲイリーはブーツの中から銃を取り出し、ドーセが目の前を通り過ぎようとしたその刹那、背後から迫り発砲。弾は右側頭部に命中し、ドーセは瞬時にして床に崩れ落ちた。

 慌ててゲイリーを取り押さえた警察官に、彼は必死の形相で叫んだ。

「あいつがあんたの家族にそんなことをすれば、あんただって同じことをしたはずだ。あんたは知らないのか、あいつが、ジョディに何をしたのか。父親なら誰でもやるはずだ。俺はそうせずにはいられなかったんだ!」