解けていなかった「息子のマインドコントロール」
銃撃の様子はその日のうちにテレビで報道され、全米を震撼させる。ジョディも父親がしでかした事に大きなショックを受け声を出して泣いた。が、彼の悲しみはドーセが死んだことにあった。ジョディはドーセを憎む傍ら、この期に及んでも虐待さえしなければ素晴らしい人間だと思い込んでいた。そのため、家族や周囲の人たちが「ゲイリーがあなたの代わりにドーセを殺したんだ」と口にしても聞く耳を持たず、母ジューンに怒りをぶちまけた。
マインドコントロールは未だに解けていなかったのである。
頭部に弾丸を受けたドーセは翌日に死亡が確認され、同時にゲイリーが犯行に至った詳しい経緯が報道された。
果たして、アメリカの国民は彼に深い同情を寄せ、ゲイリーの正義を認める声が湧き上がる。保釈金や弁護費用の基金が組まれるとその呼びかけに集まった金額が10万ドル。こうした世論に後押しされ、検察はゲイリーを第二級殺人で起訴したものの、彼が過失致死を争わないことを司法取引で認めたため、最終的に裁判所は執行猶予7年、保護観察5年と300時間の社会奉仕義務を課す。
動機はともあれ、あまりに軽い量刑に思えるが、弁護側がジョディの虐待事実を知りゲイリーが一時的な精神錯乱状態にあったと主張したこと、精神科医が犯行当時、ゲイリーに善悪の判断がついていなかったと診断したこと、判事が新たな殺人を犯す危険性は事実上皆無であると判断した結果だった。
1989年に全刑期を終えたゲイリーは2013年、67歳のときにメディアのインタビューに応じ、ドーセを殺害したことを後悔しておらず、また同じことをするだろうと告白。翌2014年10月20日、3年前から患っていた脳卒中が原因で入居先の老人ホームで息を引き取った(享年68)。
