「目の前に座っていて、3人ともタイヤにやられた」

米軍機の機首部分が突っ込んだのは、コンクリート校舎2階にあった6年3組の教室だった。ミルク給食の時間だったので、ミルクが嫌いな男子児童は廊下に出ていた。ジェット機が住宅地に墜落するのを見て、すぐに2階から飛び降りて、自宅に逃げ帰った。家に着くと父親が「おまえの頭はどうしたか」と驚いている。事故の瞬間の熱が襲ったのか、髪の毛がちりぢりに焦げていたという。

「事故のことは思い出したくない、語りたくないという方も多いので、私たちは慎重に聞き取り調査をしています。6年3組では男児1人、女児2人が亡くなっていますが、機首部分の鉄の塊がコンクリートをぶち破って教室の中に入っていますから、それが原因で3人の子たちは亡くなったと考えていました。ですが、一昨年になって、教室にいた当時の女子児童に話を聞く機会がありました。この女性は『ちがうよ。タイヤだよ』と言うのです。『亡くなった3人はいつも休み時間に遊んでいた子たちだった。私の目の前に座っていて、3人ともタイヤにやられたんだよ』と話してくれたのです。ずっと後になって新しい事実がわかることがあるのです」

この女子児童も2階から飛び降りて逃げようとしたが、向こう側から米兵が何かを叫びながら走ってきた。踵を返して逆方向に走り出したがすぐに捕まった。その時、自分の両腕が骨折していることに初めて気づいたという。それほど気が動転していたのだ。

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2年生の子たちは生きながら燃やされた

沖縄は小学校に幼稚園を併設しているが、幼稚園前のブランコで遊んでいた3年生の男児は爆風に吹き飛ばされ、ブロック塀に打ちつけられて死亡した。4年生の男児はおなかをこわして学校を休んでいたが、自宅の水道で水を飲んでいる時に飛行機の残骸が直撃し、その場で即死している。

2年生の木造校舎は、米軍機が墜落した住宅地のすぐ前に建っていた。トタン屋根にジェットエンジンが降り注いで燃え、屋根から火が滝のように流れていたのを6年生の先生が目撃している。2年3組では、女児4人、男児2人の6人が死亡している。久高さんが声を詰まらせながら語る。