女性検察官の任官が2人だった時代、ほろ苦い法廷デビュー

 1982年4月、新任検事となった私は、横浜地方検察庁に配属されます。この年、検察官に任官された五十数人のうち、女性は二人だけでした。

 初めて一人で公判に立った日のことは、今でも忘れられません。横浜地方裁判所の法廷に入ったら、傍聴席に高校生がズラリと並んでいました。社会科見学に来ていたんです。私は、子どものころはお店で商品を注文することもできないくらい恥ずかしがり屋で、大人になっても大勢の人の前で話すのは苦手なままでした。それなのに、いきなりこんな法廷に立たされて、「どうしよう」と焦りつつ小声で起訴状を読んで手続を進めようとしたら、裁判長に「検察官、声が小さい!」と大きな声で注意されてしまった。ショックでしたね。さらにその公判が終わると、裁判長はその場で高校生たちに向かって、「皆さん、この人のように女性でも検察官になれますよ」と講義を始めたんです。「え~、やめてよ」みたいな。これが私の法廷デビューでした。

 何事も慣れですね。いろんな事件をこなしているうちに、捜査や公判の仕事に関する限りは、どんな人に会っても動じなくなりましたし、公判で喋るのもさほど気にならなくなりました。とにかくチャレンジさえしてみれば、自分が想像しているよりも、できることはたくさんあるというのが私の実感です。このことは若い人たちにぜひ伝えたいと思います。自分で得手不得手を勝手に判断して将来の可能性を狭めたり、「自分はこうなんだ」と決めつけたりしないことが大切なのではないでしょうか。たとえ苦手なことがあっても、そうした環境下でもがいているうちにその環境があなたを育ててくれる場合もあるのです。

ADVERTISEMENT

『戦争犯罪と闘う 国際刑事裁判所は屈しない』(文春新書)

検事の仕事は面白かった

 検事になったとき、同期の男性から「3年と続かないだろうね」とからかわれたことがありましたが、「まあ、そうかもね」なんて淡々と答えていました。実際、「イヤになったら、いつでも辞めたらいいんだ」と思っていたんです。ところが、私は何年経っても辞めませんでした。結局のところ、仕事が面白かったからです。

 まず、真実を追究する面白さがありました。それに、一緒に働く仲間が面白かった。変な人が多くて。いや、変な人と言っちゃいけませんね。個性豊かな人が多かった。みんな四角四面ではなくて、新しいアイデアを積極的に取り入れるし、困難な場面でも「こういうふうに工夫してみよう」と前向きでした。

 おかしな話ですけれども、被疑者と話していて、つい「面白いな」と思ってしまうこともありました。たとえば詐欺の疑いがある人とのこんなやり取りです。

「どうして人を騙したんですか?」

「いいえ、騙してません。俺の言うとおり、これこれしたら、金が儲かるんだよ」

「いやいや、だって、そんなうまい話、どこにもないですよね。それって嘘言ってるわけですよね。騙してるってことでしょう? 詐欺ですよ」

「いいえ、騙してません。俺の言うとおりにしたら、金は儲かるはずだから」

 その繰り返し。本人は大真面目な口ぶり、態度なんです。人を騙していないと繰り返し本気めいた声色で主張する。ところが、それが客観的に見れば詐欺だということは、もう疑いの余地がないわけです。「世の中、いろんな人がいるんだな」としみじみ感じさせられました。