ロシアによるウクライナ侵攻とイスラエルによるパレスチナへの非人道的な攻撃。目まぐるしく国際情勢が変化するなか、この二つの戦争に向き合い、プーチンとネタニヤフに逮捕状を出した国際刑事裁判所(ICC)。ニュルンベルク裁判、東京裁判という二つの軍事法廷裁判にルーツをもち、国際平和秩序を守ろうと奮闘してきた裁判所のトップを務める赤根智子さんが、二つの戦争をはじめ国際紛争に対峙する日々、今ある危機、そして未来への責任と夢を語る。(前後篇の前篇/後篇に続く

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ロシアからの指名手配

 2023年夏、私は休暇を取得して日本に一時帰国していました。

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 7月27日の午後だったと思います。猛暑の中、自宅でぼんやりとテレビを眺めていると、NHKが速報ニュースを伝えました。

〈ロシアがICC日本人裁判官を指名手配〉

 ICC日本人裁判官とは、つまり私のこと。自分が追われる身になった事実を、私はテレビの報道で知ったのです。

 そのとき胸に去来したのは、「とうとう来たか」という思いでした。なぜなら、十分に予見されていた事態だったからです。

 そもそものきっかけは、私の所属する国際刑事裁判所(ICC:International Criminal Court)がロシアのウラジーミル・プーチン大統領らに逮捕状を出したことにあります。

ウラジミール・プーチン大統領

 2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まったのち、ICCのカリム・カーン検察官は多くの国からの付託[i]を受けて、2023年11月21日以降にウクライナの領域内で行われたとされる戦争犯罪などの捜査を開始しました。2023年2月22日には、同検察官が、プーチン氏およびマリヤ・リボワベロワ大統領全権代表(子どもの権利担当)に対する逮捕状を、私の所属する予審裁判部に請求。私は同予審部所属の裁判官として、この逮捕状審査を担当することになりました。

 予審部門の裁判官は、検察官から逮捕状の請求があった際、実際に発付するかどうかを判断する役割を担っています。このとき、私を含む予審第二部の裁判官3名は、事実を証拠とともに十分に検討し、法に照らした結果、ウクライナから子どもを連れ去った戦争犯罪にプーチン氏らが関与したと信じる合理的な理由があると判断して、3月17日に逮捕状を発付しました。

 ロシア側はすぐさま反発しました。3月20日にカーン検察官と私たち裁判官の計四名に対して刑事手続きを開始。5月にはカーン検察官とロザリオ・サルヴァトーレ・アイタラ判事(予審第二部の裁判長)を指名手配します。「無罪である人物に嫌疑をかけることを禁じたロシア刑法に違反する」などと彼らは主張しているようですが、ICCがプーチン氏らに逮捕状を出したことに対する報復なのは明らかでした。

 こうした流れを見れば、いつ私に手が伸びてもおかしくなかった。だから覚悟はしていました。そして7月、私もロシア内務省の指名手配リストに加わることになったのです。

 私が指名手配されたことを、日本のメディアは大きく報じました。結果的に、国内でのICCの知名度は格段に高まったと感じます。経緯を考えると複雑な気持ちにもなりますが、皆さんがICCとその活動に関心を持ってくださるのはありがたいことです。

赤根智子さん

 2024年3月、私はICCの所長に就任しました。このニュースもあってか、メディアの取材がさらに増え、大学で講演をする機会にも恵まれるようになりました。私は、こうした状況をプラスにとらえるほど心の余裕は持てませんでしたが、周りに勧められるまま、またこの機会に日本の皆さんにもっとICCのことを知ってもらうことが重要だと思いPRに努めました。それには切実な理由があります。いま私たちは大きな危機に瀕していて、日本をはじめ世界中の人々の支援を必要としているからです。危機の理由は、ロシアからの圧力だけではありません。