少しでも被害者の力になりたいという思い
それから、仕事を続けていく上でモチベーションの大きな源になったのは、「少しでも被害者の力になりたい」という思いです。
加害者が有罪になって罰せられたからといって、被害者が事件の前の状態に戻れるわけではありません。でも、きちんと処分が下されることで、被害者の気持ちの中で一定の区切りがついて、前を向くきっかけになるかもしれない。悲しみや怒りが完全には消えなくても、本人の中でどこか納得がいくのではないか。「正義を貫く」ことの意義は、特にここにあると私は思っています。間接的なものではあっても、司法手続を通じて「被害者の将来の生活を後押ししたい」という思いが、仕事を続ける原動力になってきたのは間違いありません。
1996年、私はいったん検察の仕事を離れて、法務省の法務総合研究所の教官に就任しました。法務総合研究所は、国連アジア極東犯罪防止研修所(通称・アジ研)という国連の地域研修所の運営も担っていて、私はこのアジ研の教官も務めることになります。
アジ研は、名前の通り、アジアをはじめとした世界各国から刑事司法関係者を招いて、国際研修などを行っています。私がここに呼ばれたのは、留学経験があって英語が使えると見込まれたからでしょう。当時、法務省には英語ができる人がほとんどいませんでしたから。そうはいっても、帰国から5年経っていて、私の英語力はほぼゼロに戻っていたんです。「人選ミスなんじゃないの?」と言いたくなった。仕方なく、もう一度勉強をし直しました。
東南アジア諸国の法整備支援に携わった経験
法務総合研究所では、諸外国に対する法整備支援に携わったこともあります。2009年から1年半、国際協力部という部署の部長を務めたときと、それから所長をしていた2年の間のことです。国際協力機構(JICA)と協力しながら、主に東南アジア諸国への支援にあたっていました。
私が関わった時点で、法整備支援の事業がスタートして15年ほど経っていましたが、支援の対象は民法や民事訴訟法など、民事法の分野に限られていました。私が「刑事法や行政法の整備を支援したっていいんじゃないの?」と言ったら、嫌がるメンバーもいたんです。なぜかと聞くと、「特に刑法なんかは時の政権の意向に左右される可能性があって、政治的なイシューになりかねないから、日本は関与すべきでない」と。私は、「そうじゃないでしょう」と思った。
刑事法も民事法もきちんと整備されなければ、その国は本当の意味で発展しません。たとえ経済が発展しても、刑事法が整っていなければ賄賂が横行して社会は腐敗する。不満が高まれば軍事的なクーデターが起きて政権が瓦解するかもしれない。また、刑事司法関係者の間で汚職が広まれば、公正な裁判もできなくなる。そんなことにならないよう、政治的な意図抜きに、つまり公平公正に、被疑者の人権と平等な手続の保障の下での裁判による刑事処罰が行われるべく法整備をしていくこと、また司法関係者の汚職を含め、社会から汚職をなくしていくための法整備や法の運用を推進していくことが必要である。だから、私は刑事法についても必要があればアドバイスをするのが良いとも思っていました。
もちろん時の政権におもねるような配慮はせずに、「世界の基準ではこうなっていますよ」「法整備とともにその運用も重要ですよ」と伝えたり、さらには、ともにその実践の仕方を考えたりした上で、最終的には相手の判断に任せる。本来、法整備支援とはこうあってしかるべきだと思っていましたし、今でもそう思っています。
日本は「法の支配」を掲げる国です。法の下の平等は厳守されますし、法の運用については公平です。また、汚職があれば、それを犯した人が誰であれ、法律に基づいて厳しく罰せられます。諸外国に対しても、同じ姿勢を貫かなくてはいけません。そうやって法の支配を貫徹させていくことが、各国の安定につながり、最終的には世界の平和にもつながっていくのだと思います。