どこから見ても不思議な光景
また、当然といえば当然の話だが、手結港の周辺には可動橋のほかにも道路があり、橋が跳ね上がっている間も数分程度で迂回できるため、橋がなくてもそれほど困ることはない。しかし、迂回路は道幅が狭い生活道路であるため、橋が下りている間は、可能な限り可動橋を通行したいものだ。
そうこうしている間に橋は既に下がっており、そして跳ね上がろうとしていた。
時刻になると、鉄道の踏切にあるものと同じ遮断機から“カンカン”と音を出し、遮断棒が下りてきた。道路が閉鎖されると遮断機の音がやみ、係員が周囲の安全を念入りに確認した後、橋が傾き始めた。
橋はゆっくりと角度を上げ、約6分間かけて70度になったところで止まった。
幅10メートル、長さ32メートルを超える橋が70度になるのだから、圧巻というほかない。
正面から見ても、横から見ても、どこから見ても不思議な光景だ。
橋が跳ね上がると同時に、港に入ってゆく漁船の姿があった。
長い歴史を刻んできた手結港が今も同じ用途で利用され、それに可動橋が一役買っている姿を目の当たりにして、私は一人で静かに感動していた。
高知県といえば足摺岬と室戸岬を有し、海のイメージが強い。しかし、実際には急峻な四国山地が背後に迫り、山が多い県でもある。昔から、遠方と行き来するためには陸路では難儀し、海路を用いることが多かった。四国と本州が橋で結ばれたのも、ここ40年ほどの話に過ぎない。江戸時代、土佐藩の参勤交代も、もっぱら海路が利用されていた。
また、高知県といえば台風が日本列島に接近した際の上陸地点になることが多く、台風銀座としても知られている。台風などの荒天時に退避できる港は、とても重要な社会基盤のひとつだった。手結港も、そのような背景から築港されたと考えられている。
360年以上にわたり人々の往来と安全を支え、海産物によって地域の生活を支え、森林資源を運び出して外貨をもたらしてくれた手結港。それとは一見、対照的にも見える近代的な手結港可動橋だが、江戸時代から続いてきた歴史を途絶えさせることなく、脈々と受け継ぐために一役買っている。
地面に突き刺さった道路が、今後も手結港を見守り続けてほしいと願っている。
撮影=鹿取茂雄
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