ホウ・シャオシェンらとの作風の違い

リム 作風にも違いがありますよね。

村山 ええ。ホウ・シャオシェンは、1、2歳で台湾に来て、自身の少年時代の体験を投影して映画を撮る。彼の視点は常に「自分」なんです。だから僕は、彼の『童年往事 時の流れ』が日本で公開された時、すごく共感しました。

リム ワン・トン監督の場合は、視点がもっと客観的、あるいは俯瞰的ですね。

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村山 そう思います。『赤い柿』も彼の自伝的な作品ですが、主人公はあくまでおばあさんであって、監督自身を投影した少年は、11人もいる孫の一人として出てくるだけです。

『赤い柿』(デジタルリマスター版)

リム ワン・トン監督は初期にはラブストーリーやコメディといったエンターテインメント作品も多く撮っています。そこから、台湾の近代史を描く3部作(『村と爆弾』『バナナ・パラダイス』『無言の丘』)のような社会派の作品へ大きく舵を切ります。

村山 僕が彼の作品を意識し始めたのは、その3部作あたりからです。それまでの台湾映画にはあまり見られなかった、非常に骨太なリアリズムを感じました。彼は撮影所育ちで映画作りの技術を体得しているからこそ、個人の内面を掘り下げるのとは違うアプローチで、歴史や社会という大きな構造に切り込めたのかもしれません。

抑制の効いた演出が深い余韻を残す

リム 『赤い柿』を観ていて非常に特徴的だと感じたのは、時間の経過が意図的にぼかされている点です。台湾近代史3部作では時間の経過が「1944年10月」というようにテロップで明示されていましたが、今回はそれがない。

村山 そう。1949年に一家が台湾に来たことはわかる。でも、子供たちが成長して大学生になったり、働き始めたりするラストシーンが、一体いつなのか判然としない。唯一、ラジオから流れるニュースで、米軍に関わる事件が起きたことが示唆されますが、それもはっきりとは描かれない。

リム 1957年に起きた反米暴動のことだと思われますが、あえて曖昧にしていますよね。

村山 なぜだろうと考えたんですが、これは監督の「思い出」の描き方に関係しているのではないでしょうか。あまりに社会的な背景をはっきりさせてしまうと、彼が描きたかったであろう、おばあさんと孫たちの生活、そのノスタルジックな記憶を邪魔してしまう。だから、あえてそういうスタイルを取ったのではないか。

『赤い柿』(デジタルリマスター版)

リム あえて歴史の大きな出来事から距離を置いたと。確かに、ドラマチックな事件は起きず、淡々と日常のエピソードが積み重ねられていきます。でも、不思議と飽きさせない。感情を過剰に煽ることもなく、抑制の効いた演出が、かえって深い余韻を残します。

村山 将軍である父親が秘密の任務で出かける場面も、その任務が何なのかは一切説明されない。おばあさんが亡くなる場面も、闘病生活を描くのではなく、朝霧の中を家族が病院へ駆けていくシーンと、その後の長い葬式の行列で表現する。全てを語らないことで、かえって観客の想像力を掻き立てる。これは非常に高度な話法だと思います。