きょう7月9日、俳優の浅野ゆう子が65歳の誕生日を迎えた。中学2年生で歌手としてデビューすると、モデルとしても活躍し、数々の雑誌のグラビアを席巻。俳優としては、不遇の時期も経た後、トレンディドラマへの出演で一気に知名度を上げた。

 転機となった作品、“W浅野”の復活、57歳での結婚……。元祖“トレンディ女優”の歩みを振り返る。(全2回の2回目/最初から読む

2013年、スペシャルドラマ『抱きしめたい!Forever』の放映が決まった際の浅野ゆう子(左)と浅野温子 ©時事通信社

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一度オファーを断ったが…映画での演技が高く評価

 80年代後半にトレンディドラマで人気が出始めたころは、《回転の早いテレビの中でどれだけ生き抜いていけるかっていうのは、けっこう自分自身の目安でもあると思う》と語っていた浅野ゆう子だが(『毎日グラフ』1988年10月9日号)、やがて、このままブームにしがみついていたら生活していけなくなると、どこで切り替えるか考えるようになる。そこへ舞い込んだのが、映画『藏』(1995年)への出演依頼だった。

 宮尾登美子の小説を原作としたこの映画の舞台は、大正から昭和にかけての新潟の蔵元で、浅野がオファーされたのは、幼くして失明を宣告された跡取り娘を懸命に育てる叔母にして義母の役であった。ただ、設定が自分よりかなり年上と思われたため、初めは断ったという。

映画『藏』(1995年)

 だが、娘の父親役で映画の制作にも名を連ねていた松方弘樹に「もっと若い設定にして、ゆう子ちゃんでいきたいんだ」と改めて声をかけられ、引き受けた。トレンディドラマとはまったく違う演技に挑んだことは大きな転機となり、日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞にも輝いた。受賞が決まったのは、故郷である神戸を襲った阪神・淡路大震災の翌年(1996年)で、《神戸の皆さん、一緒に頑張りましょうとエールを送れたような気がしたものです》と振り返る(『週刊現代』2012年5月19日号)。