同日夕方、大阪・堺を本拠地とする東組清勇会の組員の男が尼崎市の「ラウンジ・キャッツアイ」に乗り込み、4代目山口組倉本組組員の同店男性マネージャーに向け銃弾を放った。山一抗争勃発からまもない犯行だっただけに、その関連の事件と思われがちだが、東組は山口組、一和会などの大団体の傘下にない独立組織。

 動機は犯行18日前の1985年9月10日に奈良県吉野郡大淀町の繁華街にあるスナックで倉本組組員6人と飲みに来ていた一般客との間でトラブルが発生。たまたま居合わせた東組本家幹部が仲裁に入ろうとしたところ、逆上した倉本組組員により同幹部が刺殺されたことへの報復だった。

なぜ「無関係の娘の命」まで奪われたのか?

 胸に銃弾を受けたマネージャーは奇跡的に一命を取り留めたが、組員が放った弾はアルバイトのまやさんの腹部を貫通。病院に救急搬送されたものの、徐々に心拍数が弱くなり、翌朝、母ひとみさんに見守られ息を引き取る。

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写真はイメージ ©getty

 専門学校に通っていたまやさんは高校時代からバンドを組みドラムを担当。練習場所として近所に住む女性から自宅近くの「ラウンジ・キャッツアイ」を紹介され、開店前の2時間ほど店のドラムを使わせてもらう傍ら、店の手伝いをしていたところに見舞われた悲劇だった。

 愛娘を殺害されたひとみさんの悲しみは計り知れなかった。当時、彼女は百貨店に入っている呉服店で働いており、大病を患い床に伏していた夫に代わり家計を支えていた。実質、娘と2人だけの暮らしが突如失われた絶望はやがて犯人やヤクザへの憎悪・復讐心に変わり、喪主を務めた娘の葬儀では、参列した山口組系組員を「ヤクザ」と書いた貼り紙の列に並ばせ、焼香する1人1人の顔を凝視した。その中に犯人、もしくは犯人を知る人物がいるのではないかと考えたのだ。

次の記事に続く 「自分はヤクザに騙された」男は涙を流しながら罪を告白…「ヤクザの抗争で一人娘を失った母親」と「娘の命を奪った犯人」の“意外すぎる接点”とは(昭和60年)