先週も述べたが、東映時代劇はその華麗で煌びやかな世界をもって一九五〇年代後半の日本映画界を席巻した。
だが――詳しい事情は文庫版が六月十日に発売になる拙著『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』を参照いただくとして――六〇年代になり全く客が入らなくなる。そして、東映は世界観を全く変え、残酷で乾いたタッチの時代劇を連発していくことになる。
今回取り上げる『幕末残酷物語』も、そんな時期の一本だ。「破滅の美学」、あるいは英雄譚として描かれることの多い新選組を、非人間的な組織として描いた作品である。
中でも強烈な印象を残すのが、西村晃の演じる土方歳三だ。その目に温かい感情はまるでなく、いつも冷たい視線を投げかける。そして、人間が苦しみ悶える姿に対し微笑を湛えながら眺める、生粋のサディストとして登場する。
冒頭の入隊試験から、いきなり凄まじい。ここで土方は、入隊希望者に竹刀ではなく木刀で立ち合いをさせる。頭をカチ割られる者や内臓を破壊され大量に吐血する者が続出し、道場は阿鼻叫喚に包まれていった。そうした中でも土方は眉ひとつ動かさないのだ。
残忍な場面はさらに続く。主人公の新人隊士・江波(大川橋蔵)は気が弱く、血を見るのが苦手だった。そんな江波に内通者の処断役が命じられる。「貴様、わざとこのような未熟者に!」そう叫ぶ内通者。江波の剣の腕は未熟だ。そのため、一太刀で仕留めることはできない。その分、斬られる側の苦痛は続く。それを見越しての抜擢だった。実際、江波は内通者を闇雲に斬りまくるしかなく、凄惨な処刑となってしまう。
そして物語の進展につれて、土方の陰に隠れていた他の隊士たちの顔も明らかになっていく。隊の方針に疑問を感じながらも走狗として従う沖田総司(河原崎長一郎)。表向きは善人面していながら、実は裏で隊士たちを意のままに操る近藤勇(中村竹弥)。そして、まるで狂信的なカルト教団のような隊に嫌気が差して脱走を試みるも、無残に斬られていく名も無き隊士たち――。
屯所の片隅では脳梅毒に犯された隊士が牢に入れられていて「出してくれ!」と叫び続け、それがまるでBGMのように残酷劇の背後で聞こえ続ける。そして、この台詞に象徴されるような逃げ場のない閉塞感が全編にまとわりつき、ひたすら息苦しくなる。
先週取り上げた『旗本退屈男 謎の蛇姫屋敷』と立て続けに観ると、その凄まじい変貌ぶりを目と耳で確認できる。旗本退屈男の豪快な笑い声が響き渡っていた東映時代劇は、わずかな間に断末魔の支配する空間へと化していた。