『飛越(ジャンプ)』(馳星周 著)光文社

 少しでも競馬に興味があって、「オジュウチョウサン」という馬の名前にピンと来る読者は、無条件に本書を楽しめる。

 長いJRAの歴史上、唯一の同一G1レース5連覇を果たした絶対王者。気性が荒く、かつ賢い。ひとたびレースに出れば闘争心を露わにし、ライバルをなぎ倒す。「100年に一度の」という形容詞はこの馬のためにある。ファンの多い馬だった。

 では、そんな不世出の馬をなぜ知らない読者がいるのか? それこそが本書のキモだ。タイトルの『飛越(ジャンプ)』が示す通り、オジュウチョウサンが、そしてこの馬をモデルにした本書に登場する怪物・ルプスデイが、通常のレースとは異なる、障害競走を主戦場としているからだ。

ADVERTISEMENT

 物語はそのルプスデイと騎手の森山翔吾、そこに挑むキアーロディルーナと円谷翔吾という構図で進む。障害を目指す馬が怯えながら丸太を跨ぐファーストシーンからもう面白い。

 そんな障害競走というある種マニアックな世界を舞台にしておきながら、本書は物語としての王道の輝きに満ちている。それは著者のある馬への愛から来るものだ。

 ステイゴールドという実在した馬がいる。まさに気性が荒く、賢く、闘争心を剥き出しにする。ファンを魅了し続けた馬だった。

 このステイゴールドをモデルに、著者は『黄金旅程』という小説を書いた。その子のナカヤマフェスタをベースに『フェスタ』という作品も出している。それでもまだかの馬への愛は尽きることなく、今回もやはり直仔のオジュウチョウサンを下敷きにして『飛越』に挑んだのだろう。ルプスデイは当然のこと、ライバルであるキアーロディルーナにもステイゴールドの血が流れている。

 読んでいて、著者がワクワクしていることが伝わってくる場面がいくつもあった。僕にも『ザ・ロイヤルファミリー』という競馬を題材にした著書があるからわかる。架空の馬を血統から作り上げ、出走するレースを定め、展開を考える。馬主や調教師、騎手の役割を一手に担うことができるのだ。小説家の醍醐味だろう。

 本書にある〈(競馬は)博奕であり、スポーツであり、夢であり、ロマンでもある。〉という一文に触れたとき、脳裏を過ることがあった。馳さんが生み出してきた数々の名馬と、僕の書いた馬たちとが、あるいはその子どもたちが、それぞれの作品の中でぶつかり合う。言うなれば競馬版『冷静と情熱のあいだ』をやれないものか。

 むろん、簡単なことではないけれど、競馬は「夢」であり「ロマン」であるという言葉を信じ、いつの日かを夢想していたい。

 読後、障害レースを見る目がすっかり変わった。

 馬券はしっかり外し続けているけれど。

はせせいしゅう/1965年北海道生まれ。96年に『不夜城』でデビューし、翌年に同作で吉川英治文学新人賞受賞。99年『漂流街』で大藪春彦賞受賞。2020年に『少年と犬』で直木賞受賞。
 

はやみかずまさ/1977年生まれ。著書に『イノセント・デイズ』『店長がバカすぎて』『笑うマトリョーシカ』『アルプス席の母』など。