デビューに際し、所属した事務所・研音では「森アスナ」という芸名が用意されていたが、彼女は本名の中森明菜でやっていきたいと主張して、社長もそれを認めた。《でも、いま思うと、あんなこと新人の身分でいえることじゃなかったのかもしれない》と本人は前出の著書『本気だよ』で省みているが、その後も彼女は率直に自分の意見を口にし、ときにはスタッフと激しく衝突することになる。

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セカンドシングル「少女A」の制作秘話

 2枚目のシングル「少女A」を歌うにあたっても、こんなことがあった。同曲は明菜好みの清純路線だった「スローモーション」から一転して、少女が男を惑わすというショッキングな歌詞だった。それは作詞家の売野雅勇が、自分の高校時代に周囲にいた美少女や、映画『ベニスに死す』から着想して書いたものだ(売野雅勇『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』朝日新聞出版、2016年)。だが、明菜は、てっきり自分のことを調べ上げて歌にしたと思い込み、「絶対に歌いたくない!」と強く拒否する。

中森明菜「少女A」(1998年)

 それでもレコード会社のワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の担当ディレクターだった島田雄三は、この曲はヒットすると確信しており、「これを出して売れないなら、俺が責任をとる」と明菜に告げてどうにかレコーディングにこぎつける。本来なら20~30回は歌ってもらうところを、今回は3回が限度だろうと踏み、実際に3テイクほど録って切り上げた。テストで歌わせたあとで「ちっとも伝わってこないんだよな」と挑発すると、明菜は怒り心頭の様子で、それが逆に歌の迫力につながったという。レコードのジャケットにも、撮影に行ったグアムで疲れ果て、不貞腐れている写真をあえて採用した(西﨑伸彦『中森明菜 消えた歌姫』文藝春秋、2023年)。

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 スタッフの思惑どおりに進められたとはいえ、結果的に彼女は「少女A」を見事自分のものにして歌い上げ、オリコンのシングルチャートでも初めて1位を獲得、一気にスターダムに躍り出たのだった。

次の記事に続く 中森明菜60歳に 「異質な新人アイドル」時代に抱えていた“苦悩の正体”「単なるワガママだと思われ、誰もちゃんとしてくれない。だったら…」