プロデュース力の高さを証明

 事務所もレコード会社も1年半ものあいだ何度も検討を重ねた末、やっとリリースに踏み切ったが、ふたを開けてみればアルバムチャートで1位となり、明菜の人気ぶりを改めて見せつけた。同年中にはやはり実験的なアルバム『CRIMSON』をリリースし、旺盛な創作欲を示している。竹内まりやが提供し、のちにセルフカバーもしてヒットした「駅」はもともと同アルバムの収録曲だ。

中森明菜『CRIMSON』(1986年)

『不思議』に対する評価はおおむね高かった。だが、本来なら前に出るはずの彼女の歌声がサウンドに紛れて聴こえるため、リリース後、購入者から録音ミスではないかと問い合わせもあいついだという。

「だって、小さい声だと一生懸命聴いてくれるじゃないですか」

 思えば、清水ミチコや友近らのモノマネの影響もあってか、明菜というと声の小さいイメージがある。だが、それはもともと彼女が意識的に始めたものらしい。

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 テレビ朝日の音楽番組『ミュージックステーション』の元プロデューサー・三倉文宏によれば、ある時期から彼女が歌うときの声が聞き取れないほど小さくなり、リハーサルでミキシングがしにくくなるほどだったので理由を訊くと、《『だって、小さい声だと観ている人が一生懸命聴いてくれるじゃないですか』と言う。衣装選びも含めて、すべては自己演出なのかと、逆に感心しました》という(西﨑伸彦『中森明菜 消えた歌姫』文藝春秋、2023年)。

 1980年代、明菜はアイドルからたちまちのうちに時代を象徴するアーティストへと登り詰めた。しかし、90年代を目前にした頃から、彼女に次々とトラブルが降りかかることになる。

次の記事に続く 近藤真彦との破局、家族との絶縁、引退勧告も…それでも中森明菜60歳が歌い続ける“シンプルな理由”「1人で歌っていて気持ちいいとかはない。あとは…」

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