標準中国語の許容度が大きく上がった
広東語圏の香港では、標準中国語の「普通話」はもともと肩身が狭い。現在は大多数の香港人がある程度は普通話を話せるにもかかわらず、日常言語としてはほぼ使わないのが一般的だ。
もともと、香港は国際都市なのに「中華系のヨソ者」に対して妙に排他的な気質があり、5年前までは街で普通話を話すと冷淡な態度を取られることが多かった。実のところ、香港は他の華人(中国人のみならず台湾人も)からは嫌われがちな街なのだが、これも現地で標準中国語を話すとやたらと見下される現象に由来している(なお、日本人の私の場合は英語かカタコトの広東語を話せば「見下し」を逃れられるため、イヤな目にはさほど遭っていない)。
ちなみに、この手の「見下し」は、実は台湾にも類似のものが存在する。おそらくは儒教的な序列意識にもとづく華人共通のナチュラルな感覚で、民主主義や人権の理念を知っているか否かは無関係なのだろう。こんにち、台湾人や香港人がしばしば「親日的」に見える現象も、彼らの序列意識のなかで日本人のポジションが高く格付けされていることが関係していると考えられる。
さておき、従来の香港人の基準では、普通話を話す人たちの序列は「下」であり、特に大陸っぽさが抜けない中国人観光客や、社会の現業労働を担う新移民(大陸から香港への移民)は見下す対象だった。香港では往年(2015年ごろから)、トラメガを持って中国人観光客や新移民を差別的に罵倒する「香港版在特会」みたいな人たちも登場していたが、彼らの行動も、中国に飲み込まれる香港人の不満に加えて、中国人に対する見下しネタが広く社会で共有されていたことが背景にある。
だが、国安法から5年後の現在、香港では普通話の許容度が明らかに上がり、街で話しても露骨に嫌がられなくなった。安食堂の店員などは新移民が多いので、彼らが好んで母語で応対していることも一因のはずだが、現地育ちの50代男性に話を聞くと、社会では中国人をバカにするような冗談も激減したらしい。言うまでもなく、「香港版在特会」みたいな政治的なアクションも、香港デモの瓦解とともに完全に姿を消している。
いわば国安法は、香港の国際的イメージの低下と徹底的な言論弾圧と引き換えに、世界で最も有効性のある「ヘイトスピーチ防止法」「差別禁止法」として機能している……。という皮肉な指摘も可能である。もしくは、圧倒的な権力の行使を通じてこの土地の支配者が誰であるかが明確に示されたことで、香港人の序列意識が書き換えられ、結果的に中国人が見下されなくなった、という見方もできるかもしれない。
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。
