香港デモの当時、その最初期から末期(コロナ禍初期)まで現場を取材してきた筆者が、5年ぶりに香港を訪れた。一見すれば拍子抜けするほど昔と変わらない、活気に満ちた街並み。だが、よく観察してみるとじわじわと違いが浮かび上がってきた。(全2回の2回目/最初から読む)
香港デモの黒歴史化
2019年の香港デモは、現地では「過去の出来事」である。もちろん最大の要因は国安法の存在で、出来事自体に言及するべきではないとする暗黙の了解も存在する(「デモ当時は交通が不便で困った」といった批判的な言及でさえ、言いづらそうな雰囲気がある)。
ただし、理由はそれだけではない。日本でメディアから得られる香港情報は、デモと国安法の話で時間が止まっているのだが、現地ではその後も日常が続いているからだ。5年の月日は意外と長く、とりわけ「イヤな記憶」「誰もよい目を見なかった記憶」は記憶のかなたに沈みやすい。
たとえば私たち日本人の社会に話を置き換えても、「東京五輪にともなう市内の規制」(2021年)や「安倍元総理の暗殺」(2022年)を、現在進行形のニュースだと感じる人はまずいないだろう。自分たちの生活をあれだけ左右したはずの、コロナ禍のマスク不足や緊急事態宣言も、いま書かれてやっと思い出した人がいるはずだ。
そして、香港人にとっての香港デモ(2019年)は、コロナ禍よりもさらに“前”である。いくら前代未聞の非常事態で、その後の言論弾圧が徹底的だったとしても、やはり5年が経つと状況に慣れる。とりわけ国安法は、コンビニ袋の有料化や増税などとは異なり、「当局の批判さえしなければ日常生活上で直接的な不便は何もない」という法律なので、なおさらだ。
香港人もわれわれと同じ人間である以上、日本人がコロナ禍を忘れたのと同じ程度には、香港デモや国安法ショックを忘れていく。日常が続く限り、物価の上昇や芸能人のスキャンダルといった些末なニュースが大事件を押し流すのである。
