かつての香港にあった「自由・放任・無節操」

 そもそも、本来、香港は政治性が薄い土地だった。住民がトップの意思決定に深く関与できない植民地体制(支配者がイギリスでも大日本帝国でも中国でも、一貫して「植民地」)である。だが、20世紀終盤になぜか先進国的な社会が成立してしまい、そこで各人が即物的かつ好き勝手に生きてきた空間……、というのが従来の香港である。

 2014年の雨傘運動から2019年の香港デモまでの5年間、抽象的なスローガンを叫ぶ若者が大量に街に出てきて社会全体が政治化したことのほうが、むしろ香港の歴史からすればイレギュラーな状態だったともいえる。

 ……もっとも、そうした「非政治的」な往年の香港のありかたは、トップへの関与以外はなんでも「自由」だった社会の賜物でもあった。

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香港島を望む。外見上は変わらないが「なにか」が失われた街。2025年7月8日筆者撮影

 往年の香港は植民地でありながら集会・結社や言論の自由を完全に認められていたため、人々が天安門事件の追悼運動をおこなおうと香港独立を主張しようと、逆に中国との一体化を主張しようと、もしくは政治に興味を持たずにカネ儲けに走ろうと、どんな立場で生きても別に構わなかったのだ。

 香港人はお互いに自由の民なので、他の人がある正義を掲げていても、放っておいて自分は別のことを考えていい。そもそも正義を説く人たちも、いつも真面目な顔はしていない。香港デモ後の日本側報道では民主派の硬骨ジャーナリズム紙みたいな扱いになっている『蘋果日報』(アップル・デイリー。国安法施行後の2021年6月廃刊)も、その実態は辛口の体制批判や中国批判報道のいっぽうで、エグい芸能ゴシップとB級ニュースとエロ記事をドカドカ載せている楽しい新聞だった。

 かつての「非政治的」な香港の社会は、このような自由・放任・無節操のバックグラウンドゆえに成立していたのである。