社会の根底からなにかが失われた

 いっぽう、国安法の施行後、香港人の選択肢は「中国の一都市の民として国家を愛する」ことと、内心なにか思っていても口を開かず生きることの2択のみ、つまり、中国大陸の住民と同じ状態に固定された(すでに2019年の香港デモの時点で「デモ派を支持する」「支持しない」の2択という政治的硬直化が起きていたのだが)。

香港歴史博物館で大々的に開かれている国安法5周年展には、香港各地の青少年が続々と送り込まれていた。写真は往年の香港デモの「暴動」被害を子どもたちに説明するガイド。漫画『20世紀少年』に登場する「ともだちランド」を連想してしまった。2025年7月9日筆者撮影

 もちろん、「自由」のバックグラウンドが消滅しても香港の人々の生活は続いている。政治的自由の剥奪は庶民生活にさほど直接的な影響はないため、個人の幸せも楽しさも、ちゃんと存在している。街の様子は一見すると昔と変わらず、日本の報道でおどろおどろしく伝えられるほどには、弾圧や抑圧の負のムードは感じない。

 しかし、「なにか大切な構成要素が失われた」感じが社会に漂っているのも事実だ。加えて今後についても、「個性を失い中国大陸に吸収される」以外のシナリオが完全に消滅したことで、街の未来をよりよいものにしようと考える人々のモチベーションは大きく弱まった気がする。

ADVERTISEMENT

 表面上は変わらず社会が動いているものの、自律思考を諦めた自動運転。今後はこの土地が歴史の主人公になることも、新たな何かが生まれることもきっとない。テレビゲームでいうNPCキャラクターのような街になったと言えば、言いすぎだろうか。

 もっとも、繰り返し書くが香港は一見するだけなら何の問題もない。現地で日本人が普通に観光やビジネスをおこなう場合、国安法の影響はほとんどなく、金融システムも健在だ。

 香港はいまや、わざわざ憧れて行くほど魅力のある都市ではない。そして魅力は今後もジリジリと減退を続けていく。しかし、とにかく彼らは現在も存在し続けているのである。

最初から記事を読む 中国国旗がはためき、標準中国語は通じやすくなった…香港の街にじわじわ広がる「日本のメディアが見逃しがちな変化」《国家安全維持法から5年》

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。