世界的な人気ラッパーであり音楽プロデューサーのディディ(55/本名:ショーン・コムズ)が性的人身売買や恐喝などの容疑で逮捕、起訴され2か月に及ぶ裁判が行われた事件。

 注目を集めたのは主に「フリークオフ」と呼ばれるセックス・パーティにかかわる容疑だった。ディディは元恋人のキャシー(38/本名:カサンドラ・ヴェンチュラ)が22歳の頃から、麻薬を与えた上で複数の男性エスコートと数日間にわたってセックスをさせ、自慰をしながらそれを鑑賞するという行為を約10年間続けていた。

 なぜディディはこのような行為に及んだのか。なぜキャシーは関係を断ち切るのに、10年もの年月が必要だったのか? 全米が注目したこの裁判で明らかになったこととは。在米ライターの堂本かおる氏が寄稿した。(全4回の3回目/続きを読む)

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※写真はイメージ ©AFLO

※本記事には身体的・精神的虐待についての記述があります。ご注意ください。

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ヒップホップ界の「キング」として君臨したディディ

 1990年代から2000年代にかけてヒップホップ・シーンに君臨したのがディディだ。

 ディディはラッパー/レコード会社CEOであるだけでなく、ファッション・ブランド、アルコール・ブランド、ストリーミング・チャンネルなど多岐にわたるビジネスを展開し、カルチャー・アイコンとしても知られた。

ショーン・コムズ被告(右)と、被害を証言したキャシー(左)。交際時は2人揃ってメディアの前に現れることも多かった〔2015年5月4日撮影〕 ©AFP=時事

 ディディは1993年に24歳で自身のレーベルBad Boy Recordsを設立。ラッパーのノトーリアスB.I.G.をヒップホップ史に残る存在に押し上げ、同時に数多くのスターを育てた。

 1997年、米国で起こっていたヒップホップ東西抗争が理由でノトーリアスB.I.G.が殺害され、ディディは看板アーティストを失う。しかし、同年にノトーリアスB.I.G.への追悼曲を含む自身のファーストアルバム『No Way Out』をリリース。700万枚以上の売上を記録する「7xプラチナム」認定の世界的大ヒットとなった。

パフ・ダディ&ザ・ファミリー『No Way Out』(1997年)

 なお、ファーストアルバムは「パフ・ダディ」名義で出され、後に「P・ディディ」と改名、その後に「ディディ」とした。他にも「ラヴ」「キング」などの愛称を持つ。