「奴等をこの世から消滅させ、そして私も消滅する」
その『殺人計画書』は力強い文字で「決行の時が来た」と記され「私は中学時代に私に服従を強い、私を虐待し、私を虫けらのように扱った愚者共が許せない。私は奴等をこの世から消滅させ、そして私も消滅する」と、犯行後に自ら命を絶つ決意が綴られていた。
息子が起こそうとしている恐怖の計画を知った母親は年が明けた1991年1月1日、警察に電話をかけ全てを説明。警察がすぐに会場の旅館に向かうと、そこには前日に赤沢が運び込んだ海外産のビールが置かれていた。全ての瓶を押収し成分を調べたところ、致死量のヒ素を検出。赤沢が大量殺人を計画していると確信した警察は1月2日の朝から身柄を拘束し、事情聴取を行う。
赤沢は素直に自供した。動機はいじめの復讐のため、手記を残したのは自分の犯行であると公にしたかったから、さらには車にまだ時限爆弾が入っており、同窓会が始まる17時に爆破するよう設定したことを告白する。供述を受け、警察が車を調査したところ、折り畳まれた後部座席の上に大きな木箱が置かれているのを発見。爆破までにはまだ時間がある。赤沢を促し警察が爆弾の時限装置を解除しようとしたところ、なんとその中の1つが大音響とともに暴発。これにより警官3人が負傷した。
同窓会当日、会場で出されたビールは国産のものだった。それでも警察は念のために現場の旅館を捜索。詳しい説明はなかったものの、赤沢が良からぬことを企んでいたと聞かされた参加者は青ざめた。それが、翌日の新聞でいじめに対する復讐殺人計画だったことを知った彼らは震え、まさか主催者の赤沢に恨まれていたとは誰もが信じなかった。いじめの加害者は忘れても被害者は一生忘れない。本件はその典型である。