青年のその後

 身柄拘束後、赤沢は精神疾患の疑いで措置入院となったが、ほどなく責任能力ありと判断され、殺人予備罪・爆発物取締罰則違反の容疑で逮捕された。1991年1月23日、佐賀地裁が下した判決は懲役6年。赤沢が控訴せず服役したのか、いつ出所したのか、その後どんな人生を歩んだのかは定かではない。

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