今でも変わらず、ベイスターズを見続けている。30歳を過ぎた。同級生の選手は——たとえば桑原将志——、中堅に差し掛かっている。時間が経っている、と思う。石井琢朗は巡り巡ってベイスターズに帰ってきている。そのことの喜びは筆舌に尽くしがたい。

 そして思う——もし自分がいまベイスターズにいたら、石井琢朗に指導してもらうことができたんだ。そのことを考えるとき、僕は家のリビングのカーペットに広げた朝刊の「石井琢朗」の行を何度も目で追い、その成績を噛み締めていた小さいときの自分と一緒にいる。ごめんね、ごめんね、辞めちゃって、ごめんね。琢朗と、野球をやりたかったね。琢朗に、見てほしかったんだよね、自分を。そのためにやってたのにね、ごめんね。

僕は森敬斗に石井を重ねている

 石井琢朗以来に、ベイスターズの勝敗とは無関係にその成績を追いたくなる選手がいる。森敬斗である。僕は森敬斗に石井を重ねている。打席でのテイクバックの形には、年々、石井のそれが重なって見える。速球を引きつけてレフト方向へ運ぶ姿もやはり石井を彷彿とさせる。まだ粗さのある守備も、脱力して過不足なく打球を処理するという意識には、石井を中心とするコーチ陣の指導と本人の努力がたしかに積み重なっているのを感じる。

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 森敬斗は石井琢朗になれる。いや、それ以上の存在になれる潜在能力を持っている。それはベイスターズファンや関係者の誰もが感じていることだろう。それだけに、今年の状態は、歯がゆい。歯がゆいが僕は、疑っていない。森敬斗は石井琢朗になれる。

 僕は森敬斗に嫉妬している。石井琢朗に指導してもらえるから。石井琢朗と野球ができるから。石井琢朗に、なれるから。

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