――スキルや経験は、わがままになれる材料だと。
飯島 漠然と「両立したい」と言っている限り、それは無理かもしれないよね。私はボディビルを続けたいから、「そのためにはどうしたらいいか」という意志を持ち続けて、毎日を過ごしていた。ボディビルをするにしても、仕事をするにしても。池袋のデザイン会社は、ボディビルでプロになったことで辞めるんですけど、そのときもプロになったんだから、デザイナーの仕事とは縁を切ろうと、意志を持ってすっぱり辞めました。雇ってもらっていたのは、まだどっちつかずだったから。意志を持ちつつ、自分の一芸を都合よく利用するという発想も大事だと思いますね。
プロのボディビルダーがお金を稼ぐには…
――飯島さんは、1989年に日本人女性初となる、プロのボディビルダーに転向されます。そもそもの質問なのですが、ボディビルのプロは、どんな条件を満たすことでなれるのですか?
飯島 世界大会で優勝すること。世界大会と銘打たれたいろいろな大会があるのですが、例えば私が88年に出た、ハワイで行われたIFBB(国際ボディビルディング・フィットネス連盟)の「ハワイアンインターナショナルアマチュアボディビルコンペティション」もそう。ライト級で優勝して、ミドル級、ヘビー級と争う総合優勝も獲りました。
その直前にあった、代々木体育館で開催された「インターナショナルウーマンズアマチュアボディビル大会」でもライト級で優勝していたので、すでにプロになる権利はあったんですけど、宮畑会長が「あと3週間後にハワイもある。ここまで仕上げたんだから、そのまま行ったほうがいい」って。それで行くことになったんですけど、渡航費や滞在費は自分で持たないといけないから、結構、大変なんですよ。
――ボディビルダーのプロって、どうやってお金を稼ぐものなのですか?
飯島 自分次第なんじゃないかな。例えば、「飯島ゆりえサプリメントカンパニー」みたいなものを作って、“プロ推奨”といった文言を使ってプロテインやビタミン剤を売る。あるいは、テレビに出演して、名前を売ってタレント活動をしてもいいし、自分次第なところがあります。ただ、私はあまりそういうことに興味が持てなくて。一時期、アメリカからプロテインを輸入して販売していたこともあったんですけど、なんか面倒くさく感じちゃって(笑)。
――飯島さんがボディビルを始めた理由が、「一人で黙々とできるから」ということを鑑みれば納得です(笑)。
飯島 そうなんですよ。誰かとやり取りするのも、あまり好きじゃない。黙々と作業できるグラフィックデザイナーが性に合っていたのも、そういう理由なんでしょうね。ただ、プロになると、プロしか出られない国際大会があるので、その渡航費などを捻出しないといけないから、やっぱりお金は稼がないといけない。半面、なかなか助けてくれる人がいないのも事実。
プロになるときですら、日本の連盟に、「プロに転向したいから、IFBBにその旨を伝えてくれ」って伝えたものの、うんともすんとも言わない。プロになると、「プロカード」と呼ばれるプロ資格をもらえるんですけど、その手続きを何度もお願いしているのに、何にもやってくれなくて。いい加減、頭に来たから、アメリカにいる友人に頼んで、自力で「プロカード」の手配もしました。

