「チャンピオンという肩書きを売りにしていいんだ」と…

――その中には、飯島さんにあこがれて、プロのボディビルダーになった女性もいるんですか?

飯島 いないんですよ。というか、今もいない。私が引退する99年時点では、カテゴリーとして女性の「ボディビル」プロ(部門)はあったけど、私以外の日本人女性のプロはいなかった。その後、ボディビルは細分化され、女子のカテゴリーが変わってしまったので、今もいないんですよね(※)。

※現在はフィジーク、クラシックフィジーク、ビキニ、フィギュア、ウェルネスなど、筋肉量・体型・審美性の基準ごとに多様なカテゴリーが設けられており、各カテゴリーごとにプロカードが発行される。飯島さんのように、「女性のプロボディビルダー」という人はいない。

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©山元茂樹/文藝春秋

――日本人女性初どころか、後にも先にも飯島さんのみだったとは……。93年には、ニューヨークで開催された「Ms.オリンピア」という世界最高峰の大会にも出場します。プロになった後は、何をモチベーションにしていたのでしょうか?

飯島 一つでも上のポジションに行くことかな。プロの中でもトッププロのような存在になりたかった。だけど、なかなかそうもいかなくて。膝も悪くなって、手術しても改善しなかった。長年やってきたので、だんだん摩耗していったんでしょうね。気が付いたときには、もうどうにもならない。今ほどドーピング検査も厳格じゃなかったし、シリコンを入れる人もいて、これは勝てないよなって。

日本人女性の「プロボディビルダー」は後にも先にも飯島さん1人(写真=本人提供)

――そういった理由が重なって引退を決断された?

飯島 ですね。膝が故障するということは、下半身を鍛えることができないから致命的。とは言え、専門学校の先生のオファーが来たときに、「チャンピオンという肩書があります。それだけで十分です」と言われて、それを売りにしていいんだって自信を持てた。プロということを認められてオファーが来たわけだから、それなりに達成感もありました。一方で、日本人女性初だったんだから、本当は私がもっといろいろなことをすれば良かったんだろうなとか考えましたよね。今は画家として活動していますけど、ゴールドジムの公認パーソナルトレーナーや、スタジオのグループレッスンの講師などいろいろやりましたね。

次の記事に続く 日本で“たった1人”の女性プロボディビルダー→60歳で絵画の世界へ…ボディビル界のパイオニアが「まさかのキャリアチェンジ」に成功した理由

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