「今日から法律が変わりまして……」
2025年5月の終わりの、あかるい曇天の午前11時すぎ。私は目黒区役所にいた。
私は事前に調べておいた、氏名変更に必要な書類一式を肩掛けカバンに詰め込み、この後の手続きを今一度思い返していた。
年金手帳、住民票の写し、身分証明書そして飼い犬の登録済み鑑札。今度は完璧。
戸籍課に家裁から授与された紙ペラを提出するだけではいけないことを道中で知り、前の週末の金曜に来庁を断念していた私は、今日こそと気を取り直して意気揚々とまずは戸籍課に向かった。
順番の番号が呼ばれ、窓口の女性に今日来た目的を伝える。
「離婚する前に使っていた苗字に戻したいのです」
そう言うと裁判所の許可が記された証明書を求められ、伝家の宝刀のように私はその紙を差し出した。
発行されてかなりの月日が経っていることを、すっかり黄ばんでしまった藁半紙の許可書が示している。許可が出てから2年が経ってしまったことだけが気がかりだったものの、そこに使用期限の記載は無い。
差し出した書類の変色に一瞬たじろいだように見えた女性職員の表情にこちらが怯んだが、絶対大丈夫、と自分を奮い立たせ次の一言を待っていると、彼女は凄く言いにくそうというか、私が全く想像していなかったような、辛そうな顔をしてこのように言った。
「大変申し上げにくいのですが
今日から法律が変わりまして
この書類は受け付けられません……」
今日から法律が変わった。
言ってることの一分もわからず、「ん??」とだけ返すと、職員さんが補足説明を始めた。
本当に、今日から、戸籍の法律が変わりまして、戸籍にふりがなの記載が義務付けられました。この書類は、その前に作られたものなので、ふりがなについての記載が無いんです。 だから、この書類だと氏名変更は出来ないんです。
ほんとに、今日からダメになったんです……
それなので、大変お手数ではあるんですが、家庭裁判所にもう一度氏の変更の申し立てをしてもらって、今度は新しくふりがなの記載のある許可書を持ってきていただくことに、なってしまうと思います……
本当に、今日からそういうことになってしまって……
ふりがな???
昨日までは要らなかったふりがなが、今日から要るようになった?? 何が出来るか、何をすべきなのか、少しでも解に近づかなくてはと区役所のエレベーターホールで家庭裁判所の電話番号を検索し、そのまま電話をかける。ほどなくして電話が繋がる。私は昂る気持ちを抑えるようになるべく冷静に、しかしこの理不尽に少しでも理解を得たい一心でことの顛末を語り上げる。瞳孔が開き夢中で喋る私に、電話口の家裁職員がとりあえず担当窓口に繋ぎますねーと冷や水をぶっかけてくる。