筆者は日本や海外でさまざまな種類のセミも何度となく食べてきたが、セミの幼虫は植物の汁を吸っていることもあり、上手く処理しないと植物臭さが残ってしまいがちである。しかし、一度揚げてから炒める手間によって、そうした違和感が完全に取り除かれていた。中華の料理の懐の広さを感じた一品であった。

セミの麻辣炒め(写真:筆者提供)

 このように、中国では村人総出でセミを収穫するような地域もあるので、日本の公園でセミを大量捕獲する話があるのも事実であろう。そして、日本の法制度や行政がセミの大量捕獲を想定していなかったのも事実だろう。

外国人排斥と結びつけるのは論外だが…

 公園では、動植物の採取が原則禁止であっても、子どものセミ採り程度の採取は黙認され、罰されてこなかったのが現状である。どれくらいセミがいて、どれくらいの採取が問題となるかのデータもない。一方で法律違反として厳しく取り締まると、今まで黙認されてきた採取まで禁止されかねない。

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 XなどのSNSでは、セミの大量採集を外国人排斥に結びつける動きや、逆にそれを非難するコメントも散見される。事実としてあるのは、セミの食用採取という文化によって、今までルールと現実のすき間で運用されていたグレーゾーンが揺らいでいて、新しいルールづくりの手間という面倒事が発生しそうであることだ。

 安易に外国人排斥と結びつけるのは論外だが、新しく入ってきた文化により、こうした手間が増えることは否定できないことも外国人との共存を訴える人々は認識すべきであろう。

 なお、中国人だけでなく、私のような昆虫食愛好家もセミ会と称してセミを捕獲して食べている。採集数をカウントして採りすぎを防いでいる団体もある。これを機、砂浜のアサリのように、セミという“食材”の資源を管理してみてはいかがだろうか。

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