ミュージカルの演出やブライダルビデオの撮影に熱中

安田 大学ではその後、子ども向けのミュージカルをやったんです。1日1800人入る公演を1日3回、10日間やるミュージカル劇場を大学生、高校生、中学生がボランティアでやる活動だったんですけれども。僕は大学に8年行っていて、24歳でそのグループのリーダーになった時、自分で脚本を書いて、衣装デザインとか全部やった。タイトルが『海賊ザジ』という、『ルパン三世 カリオストロの城』と『インディ・ジョーンズ』を足して4ぐらいで割ったような内容で。

 舞台の演出は映像の演出とは全く違って。舞台では面白いことをやっていてもお客さんにウケないんです。なんでかというと、お客さんはそっちを見てへんから。映画だと、カット割りしてアップで強引に見せることができるんですが、舞台だと、その前にちょっと注意を引くような音なり動作で、その役者の子に注意を集めてから面白いことをしないと、みんな見てくれてないということを学んだりして。結果的には子どもたちにもすごいウケた。映画ではなかったですけれども、物語を書いて演出して人を楽しませるというのは、続けていたんです。

安田淳一監督 ©藍河兼一

 その頃、8ミリだと画質が話にならへんし、16ミリは高すぎるから、3CCDのプロ用のビデオカメラをローンで買った。家庭用のビデオカメラに比べると鮮明に撮れるんですが、結局それは鮮明なビデオ映像であって、フィルムとは違うんですけれども。ぬるぬる動くビデオ映像というのは映画とはだいぶ違う風合いのものやなという意識でした。それで、ビデオカメラを買っても使い方が分からへんから、京都の平安神宮の結婚式のブライダルビデオを撮っている方に弟子入りして、大学に行きながらブライダルビデオを自分のカメラでずっと撮影していた時期がありました。たぶん200組ぐらいは結婚式を撮影したと思います。

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——大学では就職活動をしたんですか?

安田 僕は就職したことないんです。大学は8年行っているんですけれども、4回生の時から自分で仕事をしていたので。ビデオ屋さんもそうだし、電話の取次販売店とか、いろんな仕事を。これもやって、あれもやってと言われる中でどんどん仕事が大きくなっていったという感じなんですよね。うちは親父が京都市役所に勤めながら、家でずっと農業をやっていて、僕らも小学校3年生ぐらいからよく手伝いに連れていかれるわけです。その時に、親父に「これやっとけ」と言われたことをやって、その後遊んでいたりすると、親父に怒られるわけですよ。言われていることをやるだけじゃなくて、これをやったら次にこうするという段取りを自分で考えてやっていくのが仕事だと。