味方の魚雷によって、最上は沈没していった

 正午過ぎ。「曙」から「最上」に向かって魚雷が発射された。味方の魚雷を撃ち込まれた「最上」は午後1時過ぎ、レイテ島の南方沖合の海にゆっくりと沈んでいった。

「救助された乗組員たちは皆、『曙』の甲板の上に整列していました。魚雷が撃ち込まれ、水柱を上げながら沈み始めていくと全員が敬礼をしました。沈んでいく『最上』の最期を見届けるために……」

 歴戦の重巡洋艦として。そして最後の海戦では航空巡洋艦として大きな期待を担った「最上」が、もはや、その原型をとどめず、朽ち果てた鉄の塊となって海中へと沈んでいく姿に、「曙」の甲板では号泣する兵士たちの声がいつまでも響きわたった。

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1935年、大演習参加のため呉を出港する軽巡洋艦時代の最上

「長い時間、ともに過ごした艦の最期の姿に、私は感傷的な思いが沸き起こるのを抑えることができなかった。艦に残してきた戦死者や重傷を負った仲間たちのことを思うと、涙が込み上げてくるのを、もう抑えることはできませんでした」

 あの艦のなかには、ともに厳しい訓練を、歯をくいしばって耐え、血を流して戦った仲間が大勢いる。着任した早々、怒鳴られた、あの藤間艦長も……。そして、加藤の脳裏に“大和映画館”で連帯感を強めた同僚たちの笑顔が浮かんでは消えていった。

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