生きていても、動けない人は置いていかざるを得なかった

 しかし、生存者すべてを連れ出すことはできなかったという。艦内には脚や腕などを吹き飛ばされ、血だらけになった兵士が大勢、床に転がっていた。すでに息絶えた者、意識はあるが動かない者……。艦内から運んで救助し、治療をしたとしても命が助かる見込みのないことは、すぐに分かった。

「そんな、もう自力で動くことのできない兵たちは助けることができませんでした。私は彼らへ最後の敬礼をして、別れを告げ、その場を離れるしかありませんでした」

 この「最上」からの脱出の証言を語るとき。加藤の両眼に涙が込み上げてくるのが見えた。加藤たち生き残ったわずかな数の士官は、手分けをし、艦内をくまなく捜索していった。

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 まだ、動くことのできると思われる部下たち全員に退艦命令を出し終えると、最後に自分たちが避難した。まだ、敵機の攻撃にさらされていた「曙」が、「最上」から少し離れた位置で待機していた。

「残された私たち士官は、沈みかけた『最上』から大急ぎで海へ飛び込みました。10メートルほどの高さだったと思います。衝撃は大きかったが、すぐにみんな浮き上がって泳ぎ始めました。『曙』までは数十メートルほどありましたが、救助用のロープを海面まで垂らしていてくれ、それにつかまると、甲板の上まで引き上げてくれました」

米海軍情報部が作成した最上の識別図

生き残った乗組員には「最後の仕事」が残されていた

 戦闘状態のなかでの「最上」乗組員の退避の話を聞いていると、非常時こそ、加藤たち士官の責任の重さが、また、その真価が問われていたことがよく理解できる。

 レイテ沖海戦直前。陸の基地へ避難した「零式水偵」には乗らずに、整備兵たち部下をできるだけ多く機体へ乗せて見送り、艦から退避するときは部下たちを救出し、彼らの退艦を見届けた後、一番最後に艦をあとにする……。

「個室が与えられ、ベッドで寝ることができて、とても好待遇でしたよ」と加藤は謙虚に語っていたが、どこが好待遇なものだろうか。特攻を決意し最後まで死力を尽くして戦い、戦闘後も己の生命を一番後回しにして部下の命を救う覚悟を持つ者のみが、士官の資格を持つのだ。

 戦闘不能になった「最上」のなかで加藤が果たした行動から、士官の資質の真意を知らされた思いがする。航行不能となった「最上」から生き残った乗組員は退避。抜け殻のようになった「最上」は沈むことなく、まだ、海上に浮かんでいた。

 すでに敵機は「最上」にとどめを刺した後、悠々と引き上げていった。このまま「曙」はこの戦場から立ち去るわけにはいかなかった。まだ、やり残したことがある。それは、「最上」を海底へと沈めること……。