「安くて、羽みたいのがついていた」18歳で免許を取得、初めて買った車は…
――奈良にいた頃、なにかタクシードライバーにつながるようなことは。
中島 車と特別な縁があった、というのはないですね。でも、高校を卒業して18歳で免許を取って以降、車を運転するのは好きですね。
それこそ、奈良は車がないと不便なところなので、イヤでも車を運転しないといけないんで。毎日のように、仕事が終わると友だちとドライブに行ったり、カラオケに行ったり、ボウリングに行ったりしてましたね。
――最初の車って。
中島 中古のワゴンR。色は白でしたね。なんだかわからないんですけど、羽みたいのがついていて。父親が知り合いの車屋さんで買ってくれたんですけど、「安くて、ぶつけてもいいようなヤツでいい」ってことでワゴンRに。
――地元はヤンキーが多めでしたか。
中島 私が免許を取ったばかりの頃は、ちょっと衰退気味でしたね。それでも、いまよりはまだまだヤンチャな雰囲気はありました。田舎ですし。ブンブンブーンみたいな感じで走ってるのは、ワゴンRが多かったです(笑)。
――高校卒業後は、進学を?
中島 メイクが好きだったので、大阪にあるメイクが学べる専門学校的な短大に進みました。小学校の高学年あたりから「どうやってするんだろう」って、メイクに興味を持つようになって、だんだん好きになったんです。
それでデパートの美容部員を目指して、ディオールやシュウ ウエムラとか受けていたんですけど、落ちてしまって。シュウ ウエムラに行きたかったんですけどね。結局、新卒でアパレルに就職して販売員になったんです。難波の高島屋に配属されて、奈良の実家から通ってました。でも、販売員は2007年に始めて、1年半で辞めちゃうんですよ。
アパレルを辞め、地元のパチンコ屋に8年勤務
――アパレルは合わなかった。
中島 やっぱり、自分の好きなことじゃなかったので。アパレルを辞めて、キャンペーンガールの派遣をやったりしてたんですけど、それも1年半くらいで辞めて。
で、地元のパチンコ屋さんで働くんですよ。22歳のときかな。コーヒーワゴンってわかります? お客さんの注文を取ってコーヒーや食べ物を出すんですけど、それを30歳までやってました。
――8年も。
中島 地元の相場を考えたら、時給も良かったんですよね。当時の奈良って、時給が1000円もいかなかったんですけど、そこは1100円スタートの歩合制だから、売れば売るほど上がっていくので、全然つらくもなんともなかったですね。
――車もずっとワゴンR。
中島 22歳のときにラパンの新古車を買いました。色は白。100万するかしないかで、親に一括で払ってもらってから、親に返していく“親ローン”で。

