――大阪で役者を、という考えは。
中島 大阪でもやれなくはないんですけど、可能性の大きさを考えたら東京だなと。あと、姉が東京にいたんで、最初のうちは頼れるなってのもありましたね。
――親御さんや事務所の方々は、東京に行くことに対してどんな反応を。
中島 事務所の方はすごくいい方で、「東京に行って、お芝居とかしたい」と話したら「もう30を回ってるし、挑戦したらいいよ」と言ってくれましたね。
親は、私に堅い道を歩んでほしかったと思うんです。姉は堅い道を歩んでいくタイプだったけど、私はなかなかそうはいかないタイプでして。芸能って、がんばったらがんばっただけ報われる世界ではないじゃないですか。
だからこそ、「堅い道へ」ってことだったんでしょうけど。それをいまさら私に言ったところで聞かないし、30を過ぎてて結婚もしてないなら、言ってもしかたないって考えてたんじゃないですかね。
事務所から「そういうオーディションあるよ」と…34歳でグラビアに挑戦した理由
――東京に出て、すぐ事務所に。
中島 まず生活できないとマズいんで、カフェでバイトを始めて。一瞬だけのバイトでしたけど、パンケーキを焼きまくってましたね。そのあとはコールセンターで、3年ほどバイトしてました。
実績もないし、この年齢で私を取ってくれる事務所って、そうそうないですから。東京に来てから半年ぐらいかけて、事務所を探しました。一般公開でオーディションしてるとこを受けるしかなくて、たまたま受かった事務所に入った感じですね。いまは違う事務所なんですけど。
コールセンターのバイトをしながらレッスンを受ける日々を過ごし、役者の仕事、映像の仕事をしたいと悶々とするなかで、なにかこの状況を打ち破れないかなと。
私ができることってなにがあるのか考えてたら「あ、グラビアかな」って。そうしたら、事務所から「そういうオーディションあるよ」と言われて、34歳で「ミスFLASH」のオーディションを受けたんです。
撮影=石川啓次/文藝春秋
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