「この年齢でなにができるんだろう」30歳で芸能界にチャレンジしようと思ったワケ
――奈良の地元から出たくなかったのですか。
中島 いや、30歳で「いい加減、出なきゃ」って。パチンコ屋さんを辞めて大阪でひとり暮らしを。ひとり暮らしするんだったら、べつに奈良でする理由はないので、「どうせ出るなら都会へ」という感じです。
ずっと出たかったんですけど、職場の居心地が良かったので30まで地元にいたところはありますね。職場が良い環境じゃなかったら、早めに出ていたと思いますけど。
――「いい加減、出なきゃ」とは思っていた。
中島 28歳あたりで、いろいろ考えたんですよ。なにかをがんばっていたわけでもなく、まわりの友だちは大学を出て就職をして、出世もしたりして、キャリアを積んでいて。結婚してる子もいるし。
私はそのどっちでもないなあって。楽しく人生を送ってはいたけど、なにかを一生懸命にがんばるという経験がなかったので。まったくないことはなかったけど、仕事に燃えるとか、打ち込むってことを、私もしたいなって。
「この年齢でなにができるんだろう」と考えたら、芸能界だったんですよね。チャレンジすること自体は、誰でもできるじゃないですか。
挑戦するのは、その人の勝手だし。「どこまで自分が頑張れるんだろう」って考えたし、そういう環境に身を置けば「きれいになることにも頑張れる」と思って。
「本格的に役者の道に進むなら東京に行こう」31歳で上京した経緯
――奈良にいながら、芸能活動に向けて動いてはいたということですか。
中島 そのころに、縁あって地元のモデル事務所に入ったんです。そこで広告のモデルやウェディングのモデルをやらせていただいて。
「あ、撮影ってこんなふうにするんだ」とか、いろいろ学ばせてもらったんですけど「芸能活動といっても、こういうのじゃないのかも」と。役者になりたかったんですよね。いまもそうなんですけど、ずっとお芝居がしたかったんです。
大阪までレッスンに通ったりもしてたんですけど、本格的に役者の道に進むなら東京に行こうって。それで、やっと31歳で実家を出て東京へ。

