そして午前11時2分。突然、強い光が暗い穴の奥まで届き、次の瞬間には爆風が吹き込み、子どもたちは飛ばされ壁に打ちつけられ気を失った。

 妹はすぐに立ち上がり、横穴壕を出ると夢中で家に向かって走った。壊れた家の片側だけ残った門柱に父親が体をもたれかからせ、首からメガホンを下げ立っていた。

 妹には、父が生きているように見えた。「父ちゃん、早よう逃げよう」と声をかけたとき、「お嬢ちゃん、危ない」と後ろから来た誰かに引っ張られ、路面電車通りに走った。振り向くと城山町からの火が浦上川を超えて迫っていた。

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 左胸に縫い付けられた名札には父が1番信頼する叔母(父の妹)夫妻の住所が書いてあった。2人でそこに向かった。やっとの思いで辿り着いた私たちを、叔母と叔父だけでなく、近所の人たちも歓声をあげて喜んでくれた。

©︎文藝春秋

富美子さんは手で30cmほどの大きさを示した…

 翌日、叔父と2人で駒場町の家に向かった。妹から聞いたとおり、門柱に父が体をもたせかけ、首からメガホンを下げて立っていた。しかし、妹が見た父とは違い、私が見た父は真っ黒に炭化していた。大きく開けた口の中には爆風で吹き込まれた土や瓦礫がいっぱい詰まっていた。

 家の中では母が国民学校1年生の弟に覆い被さっていた。

「妹が見たときは、母親が弟をしっかりと抱いて弟の顔はきれいだったと言いますけどね、私が見たのは、城山から浦上川を超えて来た火で母親と弟は焼け真っ黒でした。両手ですくえるくらい、このくらいになっていましたからね」

 富美子さんは手で30cmほどの大きさを示した。2番目の弟(国民学校3年生)は茶の間で見つかった。母たちと同じように小さな黒い塊になっていた。それらが誰であるかわかったのは焼け残った小さな服の切はしによってだった。