さらに2019年6月「言いたいことを言わせていただく」と開設したXアカウントは、当初「わたくし90歳」から始まり、年齢とともに更新されて現在は「わたくし96歳」として8万5000人を超えるフォロワーを持つまでに成長した。
富美子さんのポストは容赦がない。2021年の自民党総裁選の開票日前日には「誰が選ばれようと、好きなスイーツは何だとかいう報道はいらない。バカバカしいご祝儀支持率をもっともらしく報道するのもやめて欲しい」と斬りつけた。
長崎にいるかつての同級生も富美子さんのポストを見ている。
「『あのバカたれどもが』とか書いたときは、『あまり過激なこと書いちゃダメよ』と電話の向こうで大笑いしています」
なぜこれほど率直に発言できるのかと聞くと、富美子さんは若い頃から「そういう気質」だったという。
戦争が終わったとき、女学校4年生だった富美子さんは、ろくに勉強もしないまま、あと半年で女学校生活を終わらせることはできないと思った。ひとりで校長室に行き「1年延長して下さい」と直談判した。すると、それが聞き入れられ、戦後の混乱期に、勉強を続けたいという強い意志を貫いた行動力が今に続いている。
「一番は武蔵のこと」
91歳のツイートを機にこれまで戦争体験について何度も取材を受け、話してきた富美子さんだが、あるフラストレーションを溜めていたという。
「一番は武蔵のこと」
戦時中、長崎の富美子さんの家には戦艦武蔵の乗組員5人が寝泊まりしていた。武蔵が長崎から離れる日、玄関先に並んだ彼らは富美子さんの母に向かい「お母さん、ありがとうございました!」と敬礼した。
母もきちんと敬礼を返したが、すぐに崩れるようにしゃがみ込み、ずっと顔を上げられずにいたことを今でも思い出すと言う。戦艦武蔵は長崎を発った後、1944年10月24日、レイテ沖海戦で沈没した。
「私が東京に来て何年か経った頃(2015年)、武蔵が沈んでいるところがテレビで映ったんですよ。そのとき、武蔵が沈んだところにきれいなお魚が泳いでいくのを見て、『あれは兵曹だ、水兵だ、〇〇さんだ、△△さんだ』と声に出して言ったら、涙が出てどうしようもなくて」
富美子さんが取材を受けるようになり、その横で戦争体験を聞くようになった京子さんは、武蔵の乗組員が富美子さんの家で、武蔵出港前に心和む時間があったことを遺族に伝えたいと思い、連絡先を探した。Twitterのアカウント「軍艦武蔵会」からホームページへと辿り、何度かメールをしたが、返信はなかった。



