宮田愛萌さん、スケザネさん、小川公代さんの白熱のトークライブ。「ケア」をめぐる三者三様の視点が交差する時、創作や物語が持つ本質的な力が浮かび上がる。
困ったら必ず誰かが補ってくれるという確信
スケザネ ところで、小川先生は本当にケアの精神にあふれた方で、誰かが相談に来るとすぐに手を差し伸べている。自分ではそんな風に実践できないなと、見ていてよく思います。
小川 自分のキャパオーバーに気付かずにダウンすることがよくあるので、ダメなんですけどね(笑)。でも、どこかで人間がケアする力みたいなものを信じているから行動できる気がします。
昔、難病の母を病院に連れていく途中で、私自身が薬を忘れてパニックになったさい、乗る電車を間違えた!と思って、母がまだ電車に乗っているのにうっかり降りてしまったことがあるんですよ。「ここで待ってるよ」と必死でジェスチャーで伝えようとするんですが、ドアが閉まって声も届かず、電車は行ってしまった。
でも、そんな絶望的な状況でも、必ず“天使”が舞い降りるもの。少し待っていたら、驚いたことに高校生くらいの女の子が、母の手を握ってホームまで連れてきてくれたんです。ああ自分がダメな時は、誰かが助けてくれるんだ、失敗してもいいんだと共事者のケアの力を信じられた体験です。困ったら必ず誰かが補ってくれるという確信が、私の根幹にはあります。
宮田 私はカトリックの学校で育ったので、「何かあったら神様が助けてくれる」というのが大前提としてありますね。正確には、何かあったら人を助けてくれるだろう、と信じている私を信じている、という感覚ですが。
実は中学時代に、登校時にひどい転び方をして、タイツが全部破けて、腕から血が出て、カバンの中身も全部飛び出たことがありました。そしたら近くの高校の生徒さんたちが「わっ、大丈夫?」と集まってきて、ちらばった荷物を集めてくれたり、学校に絆創膏を取りに行ってくれたりしました。そういう体験は大切にしていますね。
スケザネ お二人ともすごいな。僕は、どこかで人を信じきれなくて、自分でなんとかしなきゃという感覚が強いです。他人に迷惑はかけられない、絶対に貯金はためておいて「最後は札束で何とかしよう」みたいな。両手に重い荷物を抱えていて「手伝いましょうか?」と言われても、「大丈夫です」って言っちゃうタイプですね。
アイドルにハマって輝き出した友人
小川 でも『晴れ姿の言葉たち』の中でスケザネさんは、「推すこと自体の快楽、推している自分の肯定など、愛したいという欲求がある」「自分じゃないものに軸を置くと強いんですよね」と書いているじゃないですか。これはある意味、人を信じているということでは?
スケザネ 推し活マインドは僕自身にはないので(笑)、それはある友人を見て得た気づきですね。大学時代、あまり異性経験がないある友人がアイドルにハマったんですよ。彼が毎日推しのアイドルのTwitterに「今日も学校がんばってくるね」とリプライを送っているのを見て、最初僕は意味がわからなかった。
でも、彼が生き生きとし出すのを見て、自分以外に生きがいを見出すことで人は輝くんだと自分の考えを改めました。ただ、やっぱり僕自身はどう逆立ちして考えても、誰かをそこまで心から推せない気がします。

