広島に原爆が投下された1945年8月6日から80年目を迎える今年。先月7月20日に、約350 人の中学生、高校生らが参加し、ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「次世代へのメッセージ」(読売新聞社主催)が東京大学の安田講堂にて開かれた。

 フォーラムの中で、広島出身のノンフィクション作家・堀川惠子さんが広島平和記念公園の中にある「原爆供養塔」をテーマに基調講演を行った。身元が判明しながら引き取り手が見つからない原爆供養塔の遺骨の謎を追ったその軌跡は、2015年に刊行された1冊の本『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』に結実し、今なお多くの人の心を打ってやまない。

 知られざるヒロシマの物語を、堀川さんが思いを込めて語った講演レポート、第2回目をお届けする。

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原爆が落ちるとは、どういうことかーーきな臭い世界情勢の中で、核使用の危険が高まるなか、私たちが決して忘れてはならない『原爆供養塔』。(写真:文藝春秋写真部 榎本麻美)

「平和記念公園に行った事ある人、いますか?」

 皆さんもニュースで原爆慰霊碑の映像をよく見ると思うんですけれども、実際に広島の平和記念公園に行った事ある人、どのくらいいらっしゃいますか?

(聴衆の学生たちの中から手が挙がる)

 あ、多くの方が挙げてくださいましたね。半分以上かな? 修学旅行とかで行かれたのかしら。

 あの平和公園の中心にある原爆慰霊碑。今は慰霊碑なんだけど、原爆が投下される前、あのあたりには何があったでしょうか?(と、堀川さんは学生たちに問いかけた)

 はい。慰霊碑のすぐ後ろには、映画館がありました。その側は、とっても美味しいコーヒーを出すカフェ。で、ちょっと北に歩けば、ビリヤード場もあったそうです。

 広島はずっと空襲を受けていなかったので、原爆投下の直前まで、いろんな映画がかかっていたそうです。そういう人々の営みがあったのが平和公園であり広島である、ということを、ぜひ想像してみてほしいなぁと思います。

 原爆慰霊碑の場所から、原爆ドームも見ることができます。この原爆慰霊碑には、死没者――亡くなった方々の名簿、つまり仏教でいうと過去帳のようなものが納められています。

広島の平和記念公園にある「原爆慰霊碑」。写真後方には、原爆ドームが顔をのぞかせている。(写真:Jphoto/イメージマート)