角田さんが見届けた“特攻隊員たちの最期”

 午後2時30分、スルアン島の東方150浬(約280キロ)の地点で、中型空母1隻、小型空母2隻を主力とする敵機動部隊を真正面に発見。敵艦隊の針路は南、速力は18ノット、距離30000メートル。角田さんは翼をバンク(左右に傾ける動作)して、突撃を下令した。爆装の3機は編隊を解き、全速で敵艦に向かった。艦隊上空に敵戦闘機の姿は見えない。

「操縦席の隊員の表情までは見えませんでしたが、全力で突入する()(はく)に全く差異は見られませんでした。突入といっても、零戦は空戦用にできているので、急降下すると機首が浮き上がってしまい、また高速になると舵が重く鈍くなるので正確にぶつかるのはむずかしい。私には、彼らの苦労が泣きたいほどよくわかりました。

 それでも、中型空母に向かった一番機・山下憲行一飛曹機は、その前部飛行甲板にみごと命中、大きな爆煙が上がりました。二番機・広田幸宜一飛曹機は、戦艦の煙突のすぐ後ろに突入、三番機・櫻森文雄飛長は、一番機のぶつかった穴を狙いましたが、この頃になってようやく猛烈になった防禦(ぼうぎょ)砲火に被弾、完全に大きな火の玉になりながらも空母飛行甲板の後部に命中、さらに大きな爆発の火焔(かえん)を上げました。まさに人間業とは思えない、ものすごい精神力でした」

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戦後の角田さん ©︎神立尚紀

 数分後、もう一隊の崎田清一飛曹機はいまだ沈まぬ敵空母を見て、その飛行甲板中央に突入。山澤貞勝一飛曹機、鈴木鐘一飛長機は別の小型空母に命中、大爆発した。制空隊の2機、新井康平上飛曹機、大川善雄一飛曹機は、敵戦闘機十数機を艦隊の東北方に引きつけて空戦を繰り広げたが、2機とも還らなかった。いずれも20歳前後の若者で、とくに櫻森飛長はまだ17歳の少年だった。

 米側記録には、この攻撃で、空母フランクリン、ベローウッドが大破、2隻あわせて148名が戦死、または行方不明となり、飛行機59機が破壊された、とある。2隻は修理のため、アメリカ本土に回航された。サン・ジャシントは、2機の特攻機に狙われたが、1機は艦首すぐ近くの海面に墜ち、大きな水柱を上げた。もう1機は体当り直前に対空砲火で撃墜、艦の真上で特攻機が爆発する写真が残っている。エンタープライズを狙った1機は、飛行甲板をわずかに飛び越え、左舷側の海面に突入、爆発。米軍はさらに、2機を対空砲火で撃墜したという。

 広田機が突入したという戦艦に相当する記録はないが、サン・ジャシントの2機、エンタープライズの1機は、命中したと判断したのも当然といえるきわどさであり、そんな状況から考えれば、角田さんの戦果確認はかなり正確なものであったといえる。

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