「日本の相撲のような楽しい『押し合い』のゲームです」
こうした翻案は、任天堂へのブランドロイヤリティを高めるためにキャラクターを利用したものとも言えるが、実際のゲーム体験という点から見てみると、ゲームデザインに対する宮本の哲学がよくわかる。
1998年のインタビューで、宮本は『大乱闘スマッシュブラザーズ』(『スマブラ』)の開発〔ディレクターは桜井政博。『スマブラ』の開発への貢献から桜井氏が「生みの親」と称される〕に触れて、「格闘ゲームと言うと血みどろのゲームのように聞こえるかもしれませんが、血なんてまったくありません。日本の相撲のような楽しい「押し合い」のゲームです。相手を土俵の外、このゲームで言えばケージの外に押し出すのです」(“Nintendo Power Magazine interview” 1998)と語っている。
いつものことだが、宮本の作品に対する文化的な影響を特定することは難しい。しかし『スマブラ』に関しては、宮本の構想や発言から、日本のスポーツの影響が見てとれる。
知らない人のために説明しておくと、相撲とは神道と密接に結びついた儀式的なスポーツであり、神道には身を清めるという考え方がある。
相撲の力士も塩を撒くことで身を清め、精神的な準備が整って初めて小さな土俵から相手を押し出しに向かう。張り手などを使うことも多い。
このゲームには、憎しみも、ひどい苛めもない
相撲は暴力的なスポーツではないが、土俵の近くに座っていると衝撃的なほどに大きな音がする。取り組み中に怪我をする力士はあまりおらず、見る者を魅了するスポーツだ。
そのため、宮本が相撲を例に挙げたのは、暴力的な側面ではなく形式化された争いという点で参考にしていたからだと考えられる。
さらに、宮本がプロデューサーとしてゲームの中心的なコンセプトやゲーム体験に影響を与えうる権限を持っていたことを考えると、ゲームデザイナーとしてクレジットされてはいないものの、任天堂のトップセラー格闘ゲーム(暴力的だと批判を受けたことのない格闘ゲーム)の制作に強い影響を与えたことは確かだろう。
このように、暴力性を含んだゲームでさえ、宮本はゲーム体験の中心に暴力は据えず、格闘という体験の再解釈をやってのけたように見える。
多くの人にとって馴染み深く愛着のあるキャラクターたちを連れてきて、プレイヤーたちに競争の場を与えたのだ。このゲームには、憎しみも、ひどい苛めもない。
そこにあるのは、良質でクリーンな面白さだけだ。