――ファンはできましたか。
矢作 一定数いるお姉さんが好きな方がファンになってくれました(笑)。ファンの方の「みんなの見えないところで頑張っている姿を見ているよ」「ダンスが上手くなっていっているのを知ってるからね」といった言葉にすごく救われました。今でもファンの方からいただいた手紙は全部取ってありますし、ときどき読み返したりしています。
――苦労した部分も多かったSKEですが、逆に楽しかったのはどんなところですか。
矢作 ライブはすごく楽しかったです。特にさいたまスーパーアリーナでのライブは埼玉出身ですし、すごく思い出に残ってます。ライブの中盤で、埼玉出身のメンバーがひと言ずつコメントする時間があって、感慨深かったです。
学生生活と活動を両立するが…「だんだん居づらくなった」
――1年の休学期間が終わるタイミングが来ます。SKEを辞めることは考えたんですか。
矢作 そのときにSKE48劇場支配人の湯浅さんと話したんですが「大変かもしれないけど、大学とグループを頑張って両立してみたらどうか」と意外な提案をいただいたんです。それで東京の歯科大学に通いながら、SKE48の活動を続けることになりました。
活動自体もなるべく東京で行われるイベントや握手会の仕事を振ってもらいました。それでも忙しい時は大学にキャリーケースを持って通学して、大学が終わるとそのまま新幹線に乗って、名古屋に向かってました。名古屋の劇場での公演にはなかなか出られなくなったので公演のレアキャラみたいになっちゃったんですけど(笑)。
東京でダンスの練習を1人では続けてはいたんですが、なかなか名古屋での練習には参加できないので「なんで練習に出ないの?」とメンバーからも思われていたと思います。特別扱いのように思われて、だんだん居づらくなっていきました。ファンの方からも「なんで公演に出ないの?」と問い詰められたり、アンチも出てきて。
――最終的にSKE48を辞めるきっかけは何だったんですか。
矢作 これといった大きなきっかけがあったわけじゃないんです。メンバーやファンの方の目線を気にしてしまったり、忙しさで体調を崩しちゃったことであったり。あとは大学の勉強の大変さですね。
握手会中も「明日テストだから、勉強しなきゃ」とファンの方と握手して、それが終わると控え室で暗記して、また握手をしてとやっていたのでしんどくて。これはもう限界かもしれないと感じ始めて。成績も落ちてきていたし、家族からも「もう、やれるだけやったからいいんじゃないか」と言われて。それで辞めますと運営側に伝えました。
