いずみは、それまで受けたCMの仕事を一切断り、ミュージカルにすべての力を注いだ。1960年7月、大阪フェスティバルホールで初演が行われたミュージカルは大ヒット。そしてこれを機に、やなせたかしといずみたくは、長きにわたって仕事を続けていく。
著作の中でいずみはやなせについて「やなせサンはとても不思議な人だ」「ヒューマニズムに溢れた、彼の漫画のような詩はとても作曲しやすかった」と語っている。2人が仕事を続けてこられたのは、二人の子供向け作品に対するスタンスの近さも影響している。
ゲゲゲの鬼太郎の歌にあるメッセージ
やなせたかしは、著書『何のために生まれてきたの?』(PHP研究所)の中でこう述べている。「僕は物語をつくる時も、歌をつくる時も、子ども向け、大人向けとかを区別したことはなくて。子どもも大人も、一緒に感動しなくちゃいけないと思っているから」。
このスタンスはいずみにも共通している。いずみは「ゲッ、ゲッ、ゲゲゲのゲ~」という歌い出しが印象的な「ゲゲゲの鬼太郎」(水木しげる作詞)のテーマソングも作曲している。自伝『ドレミファ交遊録』の中でも、いずみは「いかにも子供っぽい歌が嫌い」と述べ、以下のように続けている。
「大人も子供も音楽性はまったく同じ、というより、どちらかと言うと子供の方が音楽性が優れている場合が多いので、したがって子供の歌と、大人の歌をメロディー上で区別するのは、間違っている、といつも考えている」。
そこで先の「ゲゲゲの鬼太郎」の歌は、ブルースのテクニックを用いて作曲したという。結果、大人にも子供にも愛される名曲が誕生したのはご存知の通りだ。
そんなスタンスが、二人がともに作ったもっとも有名な曲「手のひらを太陽に」にも現れている。生きる喜びだけでなく、かなしさも歌っているこの曲は、決して子供だましの歌ではない。元々この詩は、やなせが自らの焦燥感に向き合う中で生まれたものだった。