幼い頃は姉妹でよく口喧嘩もしたが、姉に言い返せない木南は、いつも黙って姉のほうを見ていたらしい。だが、木南が小学校に入り、姉妹で同じテレビドラマを観るようになると徐々に雪解けしたようだ。また二人とも宝塚歌劇が好きだったので、トップスターがステージ上の大階段から降りてくるのを真似するなど「宝塚ごっこ」をよくしていたという。

木南姉妹の幼少期(木南晴夏のインスタグラムより)

 姉はそのままミュージカル俳優を目指し、その夢をかなえる。木南も宝塚の舞台に立ちたいと思って、中学時代は宝塚音楽学校の予備校のようなところにも通った。高校も演劇科のある学校に入ったが、学校生活のほうが楽しくなってしまい、宝塚を受験するのをやめたという(『婦人公論』2019年4月23日号)。舞台に立ちたいとの思いは依然としてあったものの、同時にテレビドラマへの憧れもどんどん強くなっていた。

大阪から上京、寮で共同生活を送った

 グランプリを受賞したホリプロのオーディションも、俳優ではなく歌手やアイドルを目指す人を対象にしていた。《子どもだから、なんでも良かったんだと思います。東京に出たい、テレビに出てみたい、くらいの気持ちでオーディションを受けていた気がします》とのちに顧みている(『週刊文春』前掲号)。

ADVERTISEMENT

オーディション当時の木南晴夏(本人インスタグラムより)

 芸能界入りが決まるとともに大阪から上京し、高校も東京の学校に編入する。上京してから数年は、事務所の寮で同世代の女の子10人くらいで共同生活を送った。当初は東京に住めるのがうれしくて、ホームシックにもならなかったという。

 しかし、心が折れそうになることもあった。寮のリビングにはホワイトボードがあり、各人にそれぞれ枠が与えられ、日々のスケジュールを細かく書き込むことになっていた。売れている子は枠内に書き切れないぐらい真っ黒なのに対し、木南は「学校」か「OFF」だけで終わりという日が続き、つらかったという。

Licca「GRADUATION」(2003年)

 上京してから1年後には、3人組アイドルユニット「Licca」のメンバーとなり、1年間限定で活動する。その間にも演技の仕事のオーディションを受けていたが、なかなか受からなかった。高校3年生だった2004年にようやく、昼の帯ドラマ『桜咲くまで』(毎日放送・TBS系)で俳優デビューする。ただ、のちに振り返って、《現場はすごく楽しかったけれど、演じることが難しいというか、自分がぜんぜん演技ができないことにショックを受けて、もっとお芝居で頑張りたいと思ったんですよね》と語っている(『婦人公論』前掲号)。