独身男性の家に行ったり写真のモデルになったりと蝶子の貞操観念がいささか希薄であることが学校で問題視されるが、蝶子は自分が悪いとはまったく思っていない。むしろ、蝶子は生真面目で、のちに岩崎要に交際を迫られたとき、岩崎にほかにつきあっている女性がいることを問題視する。
「(あなたの周りにいる女の人に)女のわたしが好きになるようないい女の人いなかった。というのはあなたの人格に問題があると思います」と言い放つのは痛快だった。とはいえすでに恋に落ちかかっていて、その回の締めのナレーションは「チョッちゃんはこの夜、星の世界を漂っていました」というエモーショナルなもの。まさに連続テレビ“小説”の面目躍如で、再放送でSNSが沸いた。
“インターネット前夜”の朝ドラにあったもの
伏線だ、フラグだ、と作り手の技をメタ的に楽しむ令和のような慣習は『チョッちゃん』にはなく、物語を素直に堪能する、平和な時代であった。ただし、第1話に出てきた父の机の引き出しのキャラメルと、結婚後、要と北海道に挨拶に行ったときに、要が義父からキャラメルをもらうという、さりげないロングパスなども随所にあり、視聴者を満足させる。ネットで大騒ぎするのではなく、見た者がひとりひとりの胸に大切に感動をしまう、そんなゆかしさのある時代のドラマなのだ。
また、原作に朝が「私は、家を買うときなど、考えるより行動のほうが早い性格の半面、自分の行動が人を傷つけたり悲しませたりするかもしれないという事柄に対しては、むしろ臆病なくらい煮えきらないところがあるのです」(69ページ)という一節がある。それをドラマでは彼女がパン屋のおじさんの家に行った理由に使っている。
チョッちゃんは、学校でパンを売ることをすすめたことから、寮のまかないの仕事を奪うことになってしまい、パン屋にもまかないにも謝罪する。どちらのこともないがしろにしない。ロシア人の家に行ったのも、その謝罪のためだった。
また、気難しく仕事を選り好みする要が、楽団に口利きしてくれた人に断りもなく辞めたときにもチョッちゃんが詫びに行く。パン屋とまかないの件と同じく、彼女は一貫して、相手のやったことを尊重し感謝を忘れず、失礼があったら謝罪する。ヒロインがつねに相手の顔を立てることを意識している。最近、こういうことがドラマで省かれがちだ。
